「通」の花見を楽しむ── 石碑と花見で、江戸にちょっとタイムスリップしてみませんか
2015年04月09日
花に浮かれているだけじゃもったいない? ちょっと通人(ぶった)花見の楽しみ方とは?
春の楽しみといえば、花見。
東京の桜の見頃は過ぎてしまいましたが、桜前線は順調に北上しているようです。
そこで、お酒を飲んで騒いで……もいいのですが、今年は一味違った花見を楽しんでみませんか?
それは普段じっくり見る機会があまりない「石碑」です。
少し前、有名人のお墓参りを楽しむ「マイラー」が話題になりましたが、桜がまとまって植えられている場所は、歴史的にもいわれのあることが多いことを考えると、実は石碑と桜はかけはなれたものではないのです。
通人ぶった花見の楽しみ
花見といえば、お酒。ピンク色に染まった桜の樹の下でほろ酔い気分になるのはなんとも春らしくていいものです。最近は大きな音で音楽をかけたり、コンロを据えて本格的にバーベキューを楽しんだりするグループも目立ちます。
周りに迷惑をかけなければ、それはそれでいいのですが、ちょっと通人(ぶった)花見の楽しみ方をご紹介しましょう。
江戸庶民の手軽な遊興の名所だった隅田川
東京スカイツリーで賑わう墨田区浅草近辺、とくに浅草から川を隔てた東側は、「墨堤」(隅田川の堤の意味。東武線東向島かいわい)と呼ばれ、昔から花見で有名です。隅田川の堤に桜が植えられ始めたのは享保年間(18世紀前半)のことで、江戸庶民の手軽な遊興の名所として江戸時代から有名でした。現在でも料亭が残っています。
文人といわれる人たち(学者や詩人)も集まって料亭で花を見ながらお酒を飲んだり、詩(当時は漢詩が主流)を作りあって楽しみました。彼らの間で流行ったのが、石碑を建てることでした。お金を出し合って、河畔の風景の美しさをうたった詩を刻んだ碑をきそって建てたのです。いわゆる句碑や歌碑もたくさん建てられました。
現在でもこうした、江戸末期から明治にかけて建てられた碑が墨堤の長命寺、三囲神社、白髭神社、向島百花園などには多く残っています。
石碑の書の美しさをめで、江戸文人の息吹に触れる
向島は現在でも花見の時期には人でいっぱいです。多くの人は土手を歩いて花を見ていますが、土手の喧騒からちょっと離れて寺社の境内の石碑を眺めてみましょう。
例えば三囲神社の境内にはびっしりと石碑が立っています。こうした石碑は多く書の名人たちが筆をふるいました。多くの碑は漢文で書かれていますが、内容はともかく、文字の美しさに注目してみてください。ほろ酔い気分で(そうでなくてもいいのですが)、桜の花びらがひらひらと舞い落ちる中、石碑の文字をなぞってみると、江戸の文人たちの息吹が感じられて、冷たい石もほんのり温もって、江戸の昔にタイプスリップするような錯覚を味わうことができるかもしれません。書道を習ったことのある人だったらいっそう楽しめることでしょう。
墓石や石碑を訪ねて歩く「掃苔」と花見
先人の遺徳を偲んで墓石や石碑を訪ねて歩くことは、「掃苔」(墓石についた苔を払い清めるという意味)といって昔から行われてきました。こうした石碑が集まっているのは墨堤に限りません。東京では谷中墓地近辺、飛鳥山公園、そして青山墓地など。
そうした場所はたいてい多く桜が植わっています。関東近辺だったら、成田山や鎌倉など、城跡や古い寺社があるところなどには、桜が植えられていることが多いですね。こうした場所には碑が残っていることも多いのです。歴史散歩などとあらためて構えなくても、ちょっと一味違う花見の楽しみ方ができるのではないでしょうか。
ただ、石碑は文化財的な価値を持つものです。手で触れたりすることは禁じられていませんが、扱いには気をつけるようにしましょう。