7月4日。私たち日本人には梅雨の最中のなんでもない一日ですが、アメリカ合衆国市民にとっては最大の祝祭日となります。アメリカが今から約240年前の1776年のこの日、イギリスから独立する「独立宣言」を採択した日として、「Independence Day(独立記念日、Fourth of July、July Forthとも)」に制定されているからです。世界一メジャーな超大国なのに、知っているようで知らないアメリカという国の成り立ちや独立記念日の由来とは?
独立記念日。アメリカ人はこの日、バーベキューやピクニックに繰り出し、また夜は花火や各種ドハデなイベントを楽しんで、建国を祝って盛り上がるようです。 国や自治体を挙げてのイベントも盛りだくさん。首都ワシントンでは60以上のマーチングバンドや軍関係者が参加し、毎年30万人以上の観客を動員する「The National Independence Day Parade(ナショナル・インディペンデンス・デイ・パレード)」が有名。各地でパレードやスポーツイベント、アメリカ人のソウルフードでもあるホットドッグの早食い大会が行われるのもこの日。またニューヨークの4万発もの花火に代表される、大規模な花火イベントは、普段州の法律・条令で花火の打ち上げや販売が規制されているアメリカでは(花火の音が銃声や爆弾の音に聞こえて不穏であること、使用される火薬が悪用されないためです)、独立記念日前後の週のみは販売が許可される州もあり、このときばかりは花火解禁!となるようです。ただし、ニュージャージー、ニューヨーク、デラウェア、マサチューセッツでは、個人で花火を楽しむことは禁止。
1775年4月19日、イギリス本国(グレートブリテン王国)を相手にしたアメリカ東部沿岸イギリス領の13植民地による独立戦争(American War of Independence)が勃発します。 イギリス本国からのアメリカの入植地に対する1764年砂糖法、1765年印紙法、1773年茶法と度重なる重課税に堪忍袋の緒を切らした入植者たちが、本国の東インド会社の茶を積んだ船を襲い、お茶を投棄してしまいます。これが有名なボストン茶事件で、これが戦争の発端となりました。本当か嘘かわかりませんが、このとき以来アメリカにはお茶文化が根付かず、コーヒー文化になったのだとか。 戦争は、ヨーロッパ各国の思惑が絡まって13植民地側にフランスやオランダ、スペインなどが加勢、一方イギリス側には入植者たちに土地を奪われたネイティブ・アメリカンの部族や、イギリスの植民地から連れてこられた奴隷たちがかりだされるなど錯綜を極め、北米、中米を含む大動乱が続くことになります。 この戦いのさなかである1776年7月4日、フィラデルフィアの「第二回大陸会議」でアメリカ独立宣言(Decralation of Independence)が公布されることとなります。 トマス・ジェファーソンが起草し、ベンジャミン・フランクリン、ジョン・アダムスが修正しました。そしてこれが、イギリスと戦う13植民地以外の王党派(イギリス寄り)の入植者たちの不満や反発を抑えつけ、一つの共同体の誕生を印象付けることで、後に実質的な「アメリカ合衆国の誕生」として位置づけられ、「独立記念日」となったのです。 実際には1783年9月3日にパリ講和条約が締結されて終戦したときが、アメリカの実態的な「独立」の成立であり、7月4日を独立記念日とするのはおかしい、という意見もあったり、また、独立宣言が採択されたのも、実際には日をまたいだ7月5日だったようなのですが、独立宣言50周年の7月4日に起草者で「建国の父」たちである元大統領のアダムズとジェファーソンが、55周年に大統領モンローが死去したことで、これら「建国の父」たちの命日としての7月4日は、アメリカにとって神聖な意味のある日となったのでした。 独立宣言・独立戦争は、アメリカの国旗・星条旗にも反映しています。「星」の数は合衆国の州の数に対応している、ということはよく知られています。そして「条」にあたる横縞模様、これは赤白交互で合計13本となっていますが、これは独立戦争でイギリスと戦った13植民地をあらわしています。13植民地の勝ち取った大地の上に、50の星が輝くというデザインになっているわけです。
ところで、アメリカの大統領選挙や、世界的な大きな事件や出来事の際にたびたびテレビに映し出される、首都ワシントンD.Cの中心街区。ホワイトハウスや国会議事堂の古代ローマやギリシャの神殿を思わせる新古典主義の建築物と、エジプトのオベリスク風のワシントン記念塔とがそろった映像は古代の祭祀場を思わせ、私たちの現代社会もまた、実は何か巨大な宗教的な意思や儀式により決められていて、アメリカ大統領とはその司祭なのではないか、と思えるときがあります。 実際、アメリカの建国にはさまざまなミステリーがあり、わけてもたびたび話題に上るのは、アメリカ建国の父たちの多くが結社フリーメイソンリーの会員で、初代大統領ワシントンも、リンカーンも、ケネディも会員である、という話。合衆国独立100周年を記念して1886年に建造された「自由の女神(Statue of Liberty)」は、フランスのフリーメイソンリーからアメリカのフリーメイソンリーに寄贈されたもの。ワシントン記念塔も、フリーメイソンリーの手になるもので、その礎石にはフリーメイソンリーのマークが刻まれています。なぜエジプトのオベリスク風なのでしょう。アメリカの1ドル紙幣には伝統的にフリメイソンリーのシンボルである三角形の中に目が描かれた「プロビデンスの目」が描かれています。この「プロビデンスの目」とは、エジプトの神・ホルスの左目、「ウジャドの目」とも言われています。詳細は省きますが、ホルスの「両目」は、聖書の創世記の知恵の木と生命の木に対応し、エジプトはユダヤ教やキリスト教の原型となる宗教の発祥地のひとつであり、またキリスト教異端派グノーシス派の源流である、ともいわれています。 そして、フリーメイソンリーは、決して都市伝説で言われているような秘密結社ではありませんが、中世の石工のギルド(組合)であるという一面や、その後のネットワークを利用した紳士クラブ、慈善団体といった側面を持ちながら、連綿と古代エジプトから受け継がれてきたグノーシスの知識を受け継いできている、ともいわれています。そう考えると、ワシントン記念塔がオベリスク風であることも故のないことではないわけです。