平安時代・鎌倉時代には明確に射干=ヒオウギだったものが、室町時代ごろにイチハツとシャガが渡来すると、次第にその名称が混濁するようになります。
ヒオウギとイチハツはたいして似ていませんが、ヒオウギアヤメには似ています。ヒオウギ→ヒオウギアヤメ→イチハツ、とグラデーションが形成されます。
また、ヒオウギやヒオウギアヤメはシャガとはまったく似ていませんが、イチハツが間に入るとここもグラデーションが形成されます。人里植物としてより身近な存在のイチハツや胡蝶花が、こうしていつしか「射干=シャガ」を指す言葉へと変化していってしまったのではないでしょうか。
中世に渡来したイチハツやシャガには、定まった和名がないこと、そしてイチハツとシャガに共通するある特徴、つまりイチハツの外花被片の白い毛状のとさか突起、シャガの外花被片の白いレース縁と白い毛状花柱枝が関係していたことが考えられます。
伊豆諸島の八丈島に残る特徴的な方言「八丈方言」は、上代から中世ごろの日常会話語に近い、といわれています。この八丈方言で「しゃが」という言葉は白髪を意味します。中世の庶民は、渡来してきた新しい植物にある特徴的な白い毛状突起を、白髪(しゃが)のようだ、と思ったのではないでしょうか。射干(しゃかん)と「しゃが」の偶然の共鳴。こうして今のシャガが「射干=シャガ」と呼ばれるようになったという推測が成り立ちます。
不思議な歴史の綾を秘めて、今年も人気の少ない暗い林下に、ひっそりとシャガの花が咲き出しています。
(参考・参照)
植物の世界 朝日新聞社
山科家礼記 (第13冊)花壇地錦抄和漢三才図絵