日本に伝わったのは、江戸時代末期1863年、幕府の遣欧使節がフランスから持ち帰った球根が最初とされます。翌年に開花した図が残されていますが、幕府の洋学研究所である蕃書調所(ばんしょしらべしょ)で栽培されていたため、一般の人の目に触れることはありませんでした。
明治に移り、西洋ブームの中で、チューリップは毎年輸入されるようになりました。カタログをみて球根を購入するカタログ通販のしくみはこの頃から始まっています。日本での研究は続いていたもののその後もチューリップの球根は、引き続き輸入に頼っていたため、大正時代の球根の価格は、現在の価値で1球2,000~3,000円と非常に高価なものでした。
1,000球程度の小さな花壇を作るのに300万円、富山県砺波市の「となみチューリップフェア」の100万球規模の花壇となれば、なんと30億円近い金額となります。
日本で生産が軌道に乗った大正時代のチューリップ畑は、西洋の珍しい花が咲く特別な場所であり、限られた期間だけに現れる夢の風景でした。チューリップの球根は、現在約3億球が国内に流通し、そのうち約4,000万球が新潟県、5,000万球が富山県で生産されています。2億球はオランダからの輸入です。これは昭和末から球根の輸入に必要な病害虫を防ぐための隔離栽培がオランダ産の球根に限って免除されたためです。
参照:
サカタのタネ園芸通信「明治から平成を彩る1目30億円のチューリップ」