正解のない問いに迷ったら「哲学カフェ」で語ろう!
2018年04月27日
新緑が美しく過ごしやすい気温の日が続いて爽やかな季節ですね。ところで、今日、連休目前の4月27日は哲学の日でもあります。哲学の日とは、古代ギリシャの哲学者、ソクラテスが投獄された先で毒を飲み刑死したことに由来します。さて、その哲学ですが、日本でもここ十数年の間に、哲学に関する活動が草の根的に復活してきたと言われています。そのひとつに「哲学カフェ」があります。哲学カフェでは、日頃浮かぶ様々な問いを、あるルールに沿って時間をかけて皆で考える場所なのだそうです。今回はその「哲学カフェ」についてご紹介いたします。
哲学とは、経験などによって築いた人生観や世界観
哲学とは何か、どんな学問なのか、ご存知ですか?時代や哲学者によって哲学の捉え方の表現は様々ですが「人間の世界、人生について根本原理やあり方などを追求する学問。経験などによって築き上げた人生観や世界観」のように辞書などに書かれています。つまり、個々人によって哲学的な問いや考えは異なり、経験を重ねることでその考えも常に変化し続けると言えます。すぐに直接的に役立つものではなく、結論がひとつでない、また、常に変化するというところに、ややこしい学問だと思う人も少なくないようですが、辞書などの哲学の定義からすると「とりとめもないことをぼんやりと考える」日常的なそれも哲学と言って良さそうです。この哲学的な問いや思考、対話は、あまり重要視されてこなかった日本ですが、時代も変わり、ここ十数年の間に日本各地で哲学的な活動が広がりつつあります。そのひとつに、哲学カフェというものがあります。
最後まで聞く、自分の言葉で話す、考えは変わるもの、が哲学カフェのルール
今、日本各地でも広がりを見せている哲学カフェ。もともとは1992年にフランスの哲学者マルク・ソーテが数人の友人と共に、パリのカフェで哲学の討論をしたことから始まったとされています。日本各地で行われている哲学カフェも同様に、人生の普遍的な問いから個々人の問いに寄り添うようなものまで対話されており、ここ数年では哲学カフェが活動対象とする年齢層も幅広くなっています。人生経験が豊富な大人はもちろん、やっと自分の考えが言葉にできるようになってきた3歳の幼児まで。開催される哲学カフェによって、細かなルールや雰囲気は異なるものもあるようですが、大きなルールとしては「人の意見や話をじっくり時間をかけて最後まで聞く」「自分の考えを自分の言葉で話す」「対話によって自分の考えが変わることも楽しむ」また「考えは変わるものだという前提でそこに臨む」という中で対話がされます。対話の進行はファシリテーターが行い、参加者全員が考え語れるようにその場を整えるのが概ね共通のようです。
誰にもある哲学的問いを整理し深めるきっかけに
日常で自分の考えや言葉を最後まで聞いてもらえる場面はそう多くありません。また反対に、人の意見を最後まで真剣に聞くことも、むしろ、少ないのではないでしょうか。しかも、結論や答えが見つかりにくい問いに対する考えを持ち出すのは、ある意味勇気のいることでもあります。家族や友人とそんな会話ができる環境にあればそれも理想的ですが、年齢や性別や立場の違う人の意見が聞ける場は、新しい視点や考えを深めるきっかけになるかも知れません。また、まとまらなかった考えがスッキリと整理されるかも知れません。ご興味のある方はこの機会に是非チェックしてくださいね。