二十四節気「秋分」。9月23日は葛飾北斎の誕生日です!
2017年09月23日

イガグリ、とんがってます
「あの世」と近くなり、月は美しく輝くころ

十五夜には15個、十三夜には13個のお団子が一般的?
葛飾北斎が生まれたのは、1760年の9月23日。ときはお彼岸…なんと、あの世とこの世が最も通じやすい日ではありませんか。北斎は、数え90歳で亡くなるまで生涯現役どころか、老いてますます高みを目指して進化しつづけたアーティストでした。超絶技巧の売れっ子おじいさんなのに「絵が上手くなりてぇ」と泣いて悔しがり、死ぬ直前には「あと10年、いや5年生きられたら真の絵師になれるのに」と言い残したのです。もしかすると、現世にいながら天上の芸術が見えてしまい、それに向かって昇り続けずにはいられなかったのかもしれません。この世への執着は、絵を描くことのみ(キッパリ)。だから、毎日の暮らしに頓着するヒマなんてなかったようです。生涯に、93回ものお引っ越し。そのワケは…同居する娘(←優れた絵師)ともども掃除を全くしないため、家がゴミだらけで住みにくくなるたびに引っ越してリセットしていたのでした!
森羅万象を描きたい!この世が面白すぎるから

そうそう、この波!(イメージです)
北斎作品は、ポップです。美術の知識がなかろうと、異文化圏の人だろうと、小さな子どもだろうと「富士山だ!」「カニだ!」「お化けだ!」「変な人だ!」と、誰もがそのまま楽しめます。風景、魚や動物、美人画、力士絵、幽霊画、春画…等々、森羅万象どんなジャンルも描けて、しかもどこか「とんがって」いる…北斎は、人の「面白い」という感覚にとっても敏感だったのではないでしょうか。描くばかりでなく、派手なライブパフォーマンス(120畳の大きさに描いたり米粒に描いたり、チャボの足に絵の具をつけて歩かせたり)もするし、予告チラシを自らデザインして宣伝活動もしました。アーティストの未来も応援(『北斎漫画』はお弟子さんたちの教科書といわれています)。こんなにわかりやすい絵なのに、何度繰り返し見ても不思議と飽きることがありません。自然界の山や生きものが、見るたび新しい発見をくれるみたいに。この世で見るもの全てがあまりに面白すぎたから、北斎は長生きして見ていたかったのかな…などとも思えてくるのです。
北斎は80歳以降がもっともパワフルだった!!

長野県小布施『北斎館』
新幹線もない時代に、高齢の身で4度も長い旅をして訪ねていくなんて。幕府の芸術への締め付けや、放蕩する孫の借金取り立てなど、江戸の煩わしさから逃げたいという思いもあったようです。下戸で甘党の人ですから、名産の美味しい栗でつくるお菓子も大好物だったことでしょう。生涯にペンネーム(画号)を30回以上変えた北斎の、この頃の名は「画狂老人卍(がきょうろうじん まんじ。グッときますね)」。北斎がもし現代に生きていたら、テレビの人気者になっている気がします。トークセンスもありそうですし…。それに新しもの好きなので、作品づくりにパソコンを使いこなしたりしていますね、たぶん。このみなぎるパワー、あやかりたいです!
<参考資料>
『葛飾北斎 人と作品』永田生慈(津和野 葛飾北斎美術館)
『北斎館』ホームページ