「紅花」と言う言葉には、ベニバナという特定種を指す場合と、赤い花全般をさす場合、ふたつの意味があります。つまり紅花栄は、ベニバナでない別の「紅い花が花盛りを迎える」、ということになります。では、春海が想定した「紅い花」は、何の花だったのでしょうか。
5月末のこの時期に盛りを迎える赤い花。ぴたりとあてはまる花があります。サツキツツジ(皐月躑躅 Rhododendron indicum)です。名前のとおりツツジの一種ですが、江戸時代には特にサツキツツジの盆栽人気が高まり、他のツツジと区別して「サツキ」と呼ぶのが一般的。一般的なツツジが4月に咲くのに対して、サツキの花期は5月後半から6月にかけて。まさに時期は一致します。何百もの園芸品種のあるサツキですが、その原種は映山紅(えいさんこう)の別名を持ち、増水すれば水をかぶるような渓谷の懸崖地などを好み、鮮やかな紅色の花を枝いっぱいにつけます。
サツキを含むツツジの仲間は、日本には約50種ほどもの野生原種があり、日本列島はツツジ王国でもあります。ツツジの仲間を庭に植えることは鎌倉時代~室町時代には一般化していたようで、たとえば群馬県館林市のつつじ公園として知られるつつじが岡公園は、南北朝時代の建武元(1334)年、新田義貞によって造園された新田郡武蔵島村(現在の太田市尾島町)の庭園のつつじの古株数百株を移植して大庭園とした、という歴史があります。
江戸期には園芸ブームが起こり、元禄5年には江戸染井村(東京都豊島区)の植木職人・伊藤伊兵衛がツツジ・サツキの園芸品種大全「錦繍枕」を出版、そこにはサツキの園芸品種が164種掲載され、主に薩摩(鹿児島)や京都などで栽培作出されていた品種が、江戸に一気に流入していたことをうかがわせます。
サツキの原種が西南日本中心に自生しており、相模(神奈川県西部・中部)地方がほぼ東限であることから、その栽培の中心は西日本や九州でした。京都人である渋川春海にとって、サツキはこの時期に咲く身近な紅色の花だった、というわけです。
「紅花」という言葉には、夏を迎える季節の象徴的な意味合いもこめられています。五行思想では春夏秋冬は東西南北の方角にあてはめられ、それぞれの方角には守護神獣があります。東で春をあらわす青龍、南で夏をあらわす朱雀、西で秋をあらわす白虎、北で冬をあらわす玄武。夏のイメージカラーは赤。このため「朱夏」ともいわれます。そのはじまりを告げる花として、燃え上がるようなサツキの鮮烈な赤はふさわしいものではないでしょうか。
参照
日本「古街道」探訪 東北から九州まで、歴史ロマン23選 (泉秀樹 PHP文庫)
長南氏歴史物語