「中秋の名月」とも言われる旧暦八月十五日の月見の風習は、平安時代に唐から伝わり、王朝貴族の間では10世紀ごろから月見の宴が催されました。ところが、中国はもちろん、平安王朝でも月見にススキなどまったく登場しないのです。
19世紀初頭の『俳諧歳時記』等の江戸末期の書物には、「ススキを必ず飾る」という記述が複数見られますから、江戸時代ごろにはススキを飾っていたことはわかっています。しかしそれが江戸時代にはじまった風習かどうかはわかりません。
ですが、ススキが稲の代用だというのは明らかに違うということははっきりとわかっています。
そのわけとは、たとえば中国の月見(中秋節)で食べられる月餅は、満月を模したものですし、彼岸に供えられる半搗き餅の餡団子は、もともとは意味が違うとは言え、明治期ごろから萩や牡丹に見立てられました(詳しくは
ぼた餅とお萩、その果てしなき相克とは?二十四節気「春分」(tenki.jpサプリ 2019年03月20日))。
おせち料理など晴れの料理には、さまざまな「見立て」や語呂合わせが見られます(二色=錦玉子や、めでたい=鯛、よろこぶ=昆布など)し、神前に供える神饌(みけ) には、さばいた後のカモをさも生きているように成型し直す「鴨羽盛」もあります(詳しくは
武神の森で開かれる神々の宴?香取神宮の秘密めいた奇祭「大饗祭」とは(tenki.jpサプリ 2020年11月30日))。
ですから、神への供え物に見立てがないことはないのですが、ごちそうを財宝にたとえることはあれ、安く手に入る食材を高級食材に見立てたり、食べられないもの(ススキ)を食べ物(稲)だと見立てて供えることはないでしょう。神様に対して、そのようなことをするとは考えられません。
月見には「十五夜花」もつきもので、各地でその時期に咲く花を供えました。ススキもその一つとして供えられたもっともスタンダードな草花である、と考えることもできます。しかし、実はススキには月見で特化した役割があることがわかっています。
茨城県や栃木県では、十五夜には二本のススキ、十三夜には大根を二本供えます。埼玉県や東京都では二尺(60cm強)の茅箸(ススキの茎で作った箸) を十五夜と十三夜の夜に月神に供えます。山梨県では、ススキの茎を1mほどに切りそろえて、その上に供物を置きます。
また、月見の夜に茅箸を作り、家族で食事をする風習が、各地で見られるのです。これらからわかることは、ススキとは神が供物を食べる箸だと解釈され、それゆえに必須に供えられてきた、ということです。