トンボがなぜトンボと呼ばれるようになったかは、「飛羽(とびは)」「飛棒(とびぼう)」「飛穂(とびほ)」などの説がありますが、どれもこじつけです。一方、方言などでトンボを「とんぶり」「タンブ」「どんぶ」などと呼ぶ事例から、トンボが止水域の沼や池に生息し、つまりは「どぶ」(混濁した溝や水域)と関係がある、という説にも疑問があります。「どんぶ」という言葉は、元々は井戸に物が落ちた音をあらわす擬音(オノマトペ)から来ています。空中を自由自在に飛び回るトンボと、深く重い言葉である「どぶ」「どんぶ」はイメージが食い違います。
「とんぼ」にもっとも近い音を持つ生き物の名前があります。「とんび」です。本来はトビで、とんびは飛騨地方の方言ですが、上空高く翼を大きく広げて悠々と旋回するトビの飛翔とそのシルエットは、トンボと似通っています。
そして、トンボもトンビも、神話の中で尊い生き物として天孫を援ける姿が描写されることでも共通します。トビの眷属として、愛称的な「んぼ(ん坊)」がつけられたのが「トンボ」なのではないでしょうか。
では、「アキツ」と「ヤンマ」についてはどうでしょうか。アキツは、地方の方言でアケズ、アキヅなどの名が残っていることからも、古くから和語の中にあったことは確かです。
日本が「秋津島」と呼ばれたのは、大陸と比べて山と川と湿地の多い日本に数多くのトンボが飛び交っていたからですが、むしろこの因果を逆に考えるとどうでしょうか。
「あきつ」という語自体にその秘密が隠れています。「あきつ」とは通常「秋の」という意味だと説明されますが、そうではなく、窪地、盆地を意味する「あくつ」から転じたものなのです。連なる山襞、川がえぐって作る谷間が織りなす無数の盆地、窪地。その地に飛び交う生き物だからこそ、トンボは「あくつ」と呼ばれたのです。つまり、そのような地形をなす島国だから「あくつの島」と呼んだのだ、と言えないでしょうか。
大型のトンボを指す「ヤンマ」も同様です。谷あいを意味する「やんば(八ッ場)」や「やつ」「やと」「やぶ」「ゑんば」、そして現代では高い土地を意味する「やま」もまた、古くは水源を有する隠れた奥地の意味でした。先史時代の伝説の「邪馬台国」の「やまたい」も同様です。『日本書紀』の「日本、此をば邪麻騰(やまと)と云ふ。」に既に答えが書かれていますよね。「あくつ」の多い土地に数多く生息することから「あきつ」、そして「やつ」「やんば」「やま」を棲み処とすることから「やんま」、とどちらの名もまた日本の古名に由来する、と考えれば、二つの名に共通性が生まれます。
ヤンマもアキツも、どちらも日本国の地形と特性を表した言葉だったからこそ、トンボは古来そのどちらの名でも呼ばれ、後代になって大型のトンボと中・小型のトンボとを分ける意味へと転じたのではないでしょうか。
そして、水が多く、緑が多く、多湿な日本という国に発生する無数の羽虫たちをせっせと食べ、人を助けてきたのが空のハンター・トンボたちです。
やはりこの国は「トンボの国」で間違いないでしょう。
(参考)
トンボの進化過程と分岐年代を分子系統解析により解明 筑波大学2021年10月広報昆虫 旺文社