では、日本の気象業務はどのように始まったのでしょうか。
当時の東京気象台は、内務省地理寮量地課によって、現在の気象庁庁舎近くの港区虎ノ門あたりに設置されました。その場所で、6月1日に地震観測、続く6月5日に気象観測が、最初の業務としてスタートしたのです。
地震観測には、パルミエリ地震計という機器が使われました。ただし、今のように地震波を記録できるようなものではなく、地震が起きたことを検知し、時刻を記録する感震器のようなものだったそうです。
また気象観測については、当時の記録によれば、晴雨計・乾湿計・雨量計・地温計・風速計などが設置されていたようです。観測開始当初のデータは、降水量と気温のみですが、気象庁ホームページで見ることができます。
◆気象庁「過去の気象データ検索(東京1875年6月)」気象業務が始まった当初の3か月間は、イギリス人のジョイネル氏がたった1人で地震・気象観測のすべてを担当していました。ジョイネル氏は、測量助師として来日し、明治政府に気象観測の重要性を提言した人物です。
当然ながら、今のように自動でデータ収集はできませんでしたから、毎回目視で記録をする必要がありました。彼は、1日に3回気象観測を行い、地震が起きるたびに地震計のもとへ急いで駆けつけていたそうです。ようやく9月になって日本人のメンバーが加わり、観測技術の継承が行われました。
ここで注意したいのが、この1875年6月1日は、"日本初の気象観測が始まった日”ではないということです。
東京に先駆けて、政府として最初に観測を行ったのは北海道の函館気候測量所(現在の函館地方気象台)でした。開拓使函館支庁の福士成豊氏が函館の自宅に観測機器を設置し、1872年(明治5年)8月26日に気象観測を始めました。地震についても、機器を使わない体感による方法ではあるものの、1873年(明治6年)1月に観測を開始しています。