海苔が租税に使われるほど貴重なら、どんどん養殖をすればお金持ちになれるわけですが、海苔の養殖が行われたのは江戸時代のこと。徳川家康に海苔を献上するために、現在の品川や大森周辺の海で海苔の養殖が始まりました。
それまで海苔は、岩などに生えているものを収穫するのが一般的でしたが、魚の養殖に使っていた生簀の柱に海苔が生えていることに漁師が気づきます。「柱を増やせば、もっとたくさん海苔が採れるかも」と海に何本もの柱を立てたところ、予想通り大量の海苔が付着しました。
この方法が漁師の間で広まり、安定して海苔を幕府に献上できるようになります。すべての海苔を自分たちで消費できるわけではないので、幕府は余った海苔を市場で販売し財源のひとつとしました。市場に海苔が並べば、庶民も手軽に海苔を手に入れることができます。
海苔が庶民に広がったのは、もうひとつ理由があります。それはお米の食べ方の変化が起こったことにあります。以前はお米を蒸して食べるのが一般的でしたが、江戸時代になって炊いて食べるという調理方法が広まり、ふっくらとした柔らかいご飯が主流となります。
このふっくらとしたご飯と海苔の相性がよく、紙漉きの技術を応用して作られた板海苔と酢飯で作る巻き寿司が江戸っ子の間で大流行しました。巻き寿司の登場により、海苔はさらに庶民の食材として広まっていきました。
【参考】
【海苔のはなし】vol.2 海苔の歴史(江戸時代編)