出羽国へ流罪となった沢庵は、後にその罪が許され京都へと帰ります。その後、当時の武将である柳生宗矩 (やぎゅうむねのり)によって、相談役として江戸へと招待されることとなりました。最初はいい顔をしなかった家光も、沢庵の豊富な知識と人柄に深く感銘を受けます。そして、家光からの信頼を得た沢庵は東海寺の住職に就任することとなったのです。
沢庵が東海寺の住職に就任してからしばらくして、家光は沢庵に「最近何を食べても美味しく感じない。何か美味しいものを食べさせてはくれないか。」と頼みます。沢庵は、その言葉に頷き、翌日の午前に東海寺へ来るようにと言います。それを聞いて家光は翌日の10時頃に東海寺へと赴きますが、待てど暮らせど沢庵は姿を見せません。14時~15頃になって、ようやく沢庵が現れました。その手に持っていたのは、大根の漬物が添えられたご飯だけです。しかしお腹がペコペコの家光はそれを一気に食べます。そして沢庵は、「美味しいものを食べたいのであれば、腹を空かせればいいのです。腹が減るだけで、すべてものは美味しく感じるのです。」ということを家光に伝えました。家光はその時食べた漬物の美味しさに驚き、その時に出された漬物を「たくあん漬け」と名付けたのです。
清貧な生活をしながら修行生活を送ってきた沢庵らしい教えですよね。
<参考・参照サイト>
宗鏡寺Kubotaしながわ観光協会