そして同じバッタの仲間で鳴く虫のライバル、コオロギとキリギリスは、三億年前にはそれぞれ既に耳を獲得していましたが、その耳の位置は異なり、キリギリスはバッタ類と同じく後肢付け根に耳があり、対してコオロギでは前肢の脛節に耳が形成されます。コオロギ類とキリギリス類の発声器は、鑢状器(ろじょうき)、絃部(げんぶ)、鏡膜(きょうまく)の3つのパーツから構成されています。バイオリンにたとえれば、鑢状器は弓、絃部は弦、鏡膜は共鳴室にあたります。スズムシやマツムシ、カンタンなども含むコオロギ類ではこれらが左右両方の前翅にあり、上側の前羽の裏側で下側の前羽の表側をこすりあわせることによって音がでます。鳴く時は羽を立て、腹部の背面と羽との間に大きな空間を作って共鳴器にします。
キリギリス類では鑢状器が左前翅、絃部と鏡膜が右前翅に分かれていて、上側の前翅の裏にある鑢状器を、下側の前翅の表面にある絃部とこすりあわせて絃部と同じ面にある鏡膜に共鳴させて音を出すため、やや窮屈な奏で方になります。
音楽器としての機械的な完成度だけを見れば、コオロギ類のほうにやや分があるようです。コオロギ、スズムシ、マツムシ、アオマツムシなど、澄んだ「美声」の持ち主にコオロギ類が多く、キリギリス類はウマオイ、クツワムシ、キリギリス、ヤブキリなど、ややにごった音を奏でる種類が多いことからもわかりますが、キリギリス類の独特の味のある鳴き声も、印象的ですし、ルックスで言うとすらっとしたキリギリスはかっこよく、ころっとしたコオロギはやや見栄えで劣るところから、オペラ歌手=コオロギ、ブルース・ロック歌手=キリギリス、といったところでしょうか。
コオロギの鳴音には、種の識別、同種異性への求愛誘引、同種個体間での威嚇や闘争など多様な使い分けが知られています。そしてそればかりではなく、ときに戯れのように意味もなく、人間でいう鼻歌のような鳴き方もするんだとか。かわいいですよね。キリギリス類には、そのような多様な鳴き分けはない、と言われていましたが、近年ではキリギリス類にもさまざまな鳴き分けがあることが徐々にわかってきました。負けていませんね。
彼らには、美しい音を奏でる能力とともに、さまざまな音を聞き分ける高い聴力があることもわかっています。戸口や庭で、「この家の人間の怒鳴り声はやばい」「この人間はやさしい声で好き」などと、もしかしたらあちらもこちらの声を聞いて、色々なことを感じているかもしれません。
千蟲譜3巻