この風船爆弾作戦は、国内でのこんにゃく生産にも大きな変化をもたらしました。水戸藩以来のこんにゃく生産の中心地だった茨城の農家の多くは、戦争に突入するとカロリーの低いコンニャク栽培を、高カロリーのサツマイモ生産に切り替えました。そして低下したコンニャク流通が、風船爆弾への転用で途絶えてしまいます。以降、主産地である茨城北部ではコンニャク生産がサツマイモへと転換されてしまいました。そして戦後、それを補うように栽培が盛んになったのが群馬県や栃木県。平成29年度のこんにゃく生産量は全国で64,700tですが、このうち群馬県が59,700tと9割を超え(2位は栃木県で約1800t)、群馬県は現代ではほぼ寡占状態の大こんにゃく王国。「こんにゃくパーク」というテーマパークまで存在します。
群馬県の、夏には高温になることの多い内陸性の気候と、山地が多く水はけがよい土壌が、熱帯性のコンニャクにはあっていたようです。戦後には平地栽培の技術も確立し、生産は昭和40~50年ごろにピークを迎えますが、日本人の食生活の変化で消費が低下、今ではピーク時の1/3ほどに落ち込んでいます。が、近年海外では低カロリー、ローカーボハイドレート食材として注目を集め始め、特に欧米で人気が高まっています。日本にコンニャク食を伝えたはずの中国でも、一般的にはほとんど食べられることがなく(定番の中華料理にも思いつきませんよね)、日本旅行で食べるコンニャクをものめずらしく感じるんだとか。
独特のにおいがわずかにありますが、味はほぼ無味で極めて淡白、脂分もなくカロリーもほぼないため、弾力のある食感を楽しむことと、豊富な食物繊維とグルコマンナンの膨張作用による整腸効果のために食べられるものですが、和食のバリエーションは思いのほかに多く、すき焼きや焼きそばの具としても、モツ煮込みやけんちん汁、おでんにも欠かせない名バイプレイヤーですし、蕎麦屋の味噌田楽や刺身コンニャク、主菜としてピリ辛の炒め物、さらにはこんにゃくステーキなど、使い道は様々。滋賀県近江地方の赤蒟蒻や山形県の玉蒟蒻など、地方色豊かな変り種も存在します。
一昔前は外国人にとって、和食の中でもっとも奇妙に感じる食品は、刺身でも納豆でもなく、コンニャクでした。その食感がスライムのようだとか、プラスチックみたいだとか気味悪がられ、カルチャーショックを受ける食べ物だったようです。そんな時代から、もはやヘルシーな食材として世界的に注目されているコンニャク。ハイカーボン、ハイカロリーの食べ物を求め続けてきた人類が、その対極の食べ物を求めるのも先進国の飽食の果てという気がしないでもありませんが、コンニャクの美味しさや食材としての豊かな可能性はまぎれもない事実です。
食文化の故郷としての日本でも、かつてのように盛んに食べられる日がまた来るかもしれませんね。
参考・参照
植物の世界(朝日新聞社)
コンニャクの歴史こんにゃくパーク※公開後、記事の一部を加筆・修正しています(2019/8/29)