ツバキは特別な霊力のある神木と信じられてきました。ツバキの花は、椿茶として滋養強壮薬としても知られています。日本書紀などに見られる、正月卯の日に地面を突いて破邪・厄除けを行う呪具である卯杖(うじょう)。正倉院南倉に所蔵される「椿杖(つばきのつえ)」は天平宝字二(758)年初卯の日の魑魅悪鬼払いの行事に用いられたと伝わる卯杖で、その材はツバキです。古くからツバキの木は長寿の象徴であるとともに、その精油は不老不死の霊薬であるとも信じられてきたのです。
若狭国(福井県)で人魚の肉を食べ、不老不死の肉体を得て八百歳まで生きて自ら入滅したと伝えられる八百比丘尼(やおびくに/はっぴゃくびくに)。200歳になる頃、家族も友も伴侶も全て亡くし、自分だけが若いまま生き続けることを嘆き、出家して尼僧となって諸国を行脚しました。そして各地でツバキを植えて歩いた、と伝わります。
日本に密教を伝えた真言宗の開祖・空海もまた、ツバキで作った錫杖(しゃくじょう)を携えて全国を巡り歩きました。空海縁起の逸話は全国に見られるものですが、大分県豊後高田市に隣接して鎮座する椿大堂、椿堂、椿光寺はそれぞれが空海(弘法大師)による開基と縁起を伝えています。ツバキと空海の縁の深さをうかがわせます。
神話では、天孫降臨した邇邇芸命(ににぎのみこと)を高千穂峰まで道案内したことから、「道拓き」「道引き」の神として知られる猿田彦命(さるたひこのみこと)が、日本の国分けを行った際にツバキの苗木を日本中の国境に植えて回ったという伝説があります。猿田彦命は衢の神(ちまたのかみ)、椿大明神という異名を持ち、三重県鈴鹿市の伊勢の国一之宮・椿大神社(つばきおおかみやしろ)は猿田彦命を祀る神社の総本社ともいわれるのです。
ツバキの語源は、つやのある葉から「艶葉木(つやばき)」とする説が一般的ですが、道分(みちわき)から来るともされます。遠い昔、道なき道のしるべとして、大きなツバキの木などが目印となったためかもしれません。ここから、道案内の神・猿田彦命と結びついたと考えられます。
関東地方の民間伝承では、猿田彦命が植えたツバキの木のうち、上総の国と下総の国の境に植えられたツバキは80万80年の時が過ぎる頃、雲つくような大木に育ち、周辺一帯の香取・海上・匝瑳(そうさ)の空を覆いつくし、花の時期には空が真っ赤に燃えるようだったと伝えられています。ところが、いつの頃かその木に「鬼満国」の鬼が棲みつくようになり、故郷の伊勢・五十鈴川にいた猿田彦命はこの噂を聞きつけ、香取神宮の経津主命(ふつぬしのみこと)とともに、鬼退治に乗り出しました。二神は、天の鹿児弓に天の羽々矢をつがえ、ツバキの木に棲みついた鬼に射かけます。鬼はびっくりして木から飛び降り、ツバキの幹をかかえてゆさゆさとゆすって抵抗しましたが、二神の攻撃には敵わず、ツバキの木を引き抜くと、東の海の彼方へと逃げ去っていきました。このツバキの根が引き抜かれた大きな穴に海水がたまり、「椿の湖」が出来た、といわれます。
現在の旭市付近にあった面積7,200ha、山手線エリアがすっぽり入るこの広大な汽水湖は、江戸時代食糧増産のために干拓され、干潟八万石と呼ばれる水田地帯に変貌しました。
ツバキは日本の花の代名詞でもありますが、近年の人気はいまひとつ。「東洋の薔薇」と讃えられ、日本、中国、欧米では数多くの園芸品種も作出されていて、特に近年の品種の艶やかさとバラエティには目を見張ります。多くの人に関心を持ってもらいたいものです。
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