仏教が次第に庶民の生活・習俗に浸透していくと、初夏の時期に行われる稲田に山の神を導く民間信仰行事、「お山始め」「神の日」「春山入り」と花祭りが時期的に近かったため、やがて「卯月八日」へと変化習合されていきました。
花祭りには今でも甘茶で墨を磨って「ちはやぶる卯月八日は吉日よ 神下げ虫を成敗ぞする」と書写して、門口や柱に貼り付け、虫除け・虫封じの護符とするという農事的な風習も知られています。
早春のころから、田打ち・代かき・畝作り・種付け…と田植えへの準備を入念に行ってきた農村では、いよいよ丹精込めた苗を田に植えつけるのに先立ち、山の神を田へと導くための特別な祭礼を設けました。
春山に登り、野の花を摘み、これを「天道花」と称して高い竿の先に飾り、神の依り代とし豊作を祈念しました。山の神は古い信仰で共同体の祖霊ともされましたので、祖霊を迎えるために、古くは共同体の中の女性たちが山で禊斎し、花を摘んで山から下りてきて、その山の霊力を担って田植えするという役割を託されました。
時代が下って聖山に女性が入ることを忌む風習が生まれても、この卯月八日だけは特別でした。たとえば比叡山も明治初期まで女人禁制でしたが、その時代であっても、卯月八日には入山して花摘社に参拝することを許されていました。卯月八日には農事は一切禁止で、ひたすら祖霊である山の神に「田の神」として働いてもらうために歓待する日としたのです。
卯月八日は、彼岸や盂蘭盆と並んで、日本古来の習俗信仰(太陽信仰)がその古いかたちを残しながら仏教行事と融合していった、興味深い事例といえるでしょう。
東北の山岳信仰 岩崎敏夫 岩崎美術社
薬草カラー図鑑 講談社
花壇地錦抄