震災当時、関西本部気象情報部情報開発課に所属していました。
当時私は大阪市南部に住んでいましたが、棚の上の瓶が落ちた程度で、電気・ガス・水道などのライフラインに大きな被害はありませんでした。
地震発生後すぐに職場へ向かおうとしましたが、地下鉄は止まり、タクシー乗り場は人の山。加えて、駅前は水道管が破裂したようで水浸し・・・という状況だったことを覚えています。
その後なんとかタクシーを捕まえ、職場付近まで到着しましたが、大通りの交差点では信号が停止し、少し路地に入ると、古い民家が多いためか路上に屋根瓦が散乱していました。ふと耳にしたラジオからは、神戸で震度6の情報はあるものの、阪神地区の状況はうまく掴めない・・・という状況でした。朝7時前に会社に到着した後は、社内の安否確認やシステム稼働状況の確認に延々と追われました。安否確認を進める中で、神戸エリアの被害状況が徐々に明らかになっていき、この地震の被害の大きさを実感したことを覚えています。
結局、関西本部職員全員の安否が確認できたのは、地震発生から2日経った1月19日のことでした。
以降は、建物被害を受けた当時の神戸支部への緊急物資輸送対応や、翌2月には大きな被害を受けた阪神地区自治体(芦屋市・西宮市・尼崎市・神戸市・宝塚市など)に、当面の間、気象情報端末の無償提供を開始するなどの対応を行いました。
日本の面積は世界の0.25%である一方で、マグニチュード6以上の地震のうち約2割は日本周辺で発生しています。日本に居住している限り、どこでも大きな地震災害に見舞われることを想定しなくてはなりません。
自らが
ローリングストックなど地震への備えを実践するだけでなく、民間気象会社の一員としてtenki.jpの「知る防災」活動の推進や、減災に有用となる気象防災情報サービスの拡充に努めていきたいと考えています。