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    東日本大震災から13年 いま伝えたい遺族の言葉 記憶・教訓の伝承を担う被災地の14年目が始まる【福島発】

    2024年03月12日19:00

    東日本大震災・原発事故から13年を迎えた2024年3月11日。東日本大震災の福島県の被害は死者1614人、行方不明196人。亡き人を思い祈りを捧げ、伝承を誓う一日となった。

    当時小学一年生 忘れない温もり

    3月11日に福島県福島市で行われた追悼復興祈念式。福島県浪江町出身の鍋島悠輔さんが伝えた、遺族代表のことば…

    「私の両親と祖父母は、あの巨大津波の犠牲となりました。父はまだ行方不明のままです。13年経った今でも、両親や祖父母の温もりは忘れていません。
    あの日、小学1年生だった私は、放課後に学童施設で宿題をしている時に、地震に襲われました。それから1カ月くらい福島県内を転々と避難し、その後 父方の祖父に引き取られ、神奈川県平塚市に避難しました。
    神奈川県の小学校に通うようになって半年ほどが過ぎた時、祖父が初めて両親や浪江の祖父母のことを教えてくれました。幼かった私は事態がよく飲みこめなかったのか、涙は出ませんでした。ただ、両親が迎えに来ないことを不思議に思っていた私は、妙に冷静に受け止めた気がします。
    両親に休日に遊んでもらったこと、父とサッカーをしたことや母の手料理のおいしさなど、不思議と浪江町での家族の楽しい記憶は色あせていません。
    震災遺構で請戸小学校が残ったのは、思い出の面影が残ったような気がして、とても嬉しく思いました。
    今後、私たち家族が住んでいたところに新しい家族が、私たち家族のように楽しく過ごしてもらえたら、こんなに嬉しいことはありません」(一部抜粋)

    20歳になったいま、約4分間 当時の記憶を語った。

    あんな別れになるとは

    「かわいい お母ちゃんが亡くなっちゃったからさ」…浪江町で墓参りに訪れていた、熊川勝さん。妻が毎朝飲んでいたリンゴジュースを墓前に供えた。
    「家内の顔を見ていて突然いなくなった。パーンと…俺は上、家内は下に引きずり込まれて…津波にな。ああいう別れの仕方するとは思わなかったよ。ここに来ると請戸の浜を見ながらね、在りし日の家内のこと思い出す」

    風化を感じる人も

    鮮明に残る、あの日と…失った大切な人の記憶。一方、その「弱まり」を指摘する声も…「寂しいって言えば寂しいよね、去年まで結構人いたのに、これだけだからさ」と話すのは、献花に訪れた小松光一さん。妻は津波で行方不明のままだという。

    語り継ぐとか言うけど。それだったら、もう少し集まらなくては。みんなでね」
    2024年3月に行った県民世論調査では、約8割の人が教訓や記憶が「風化している」と回答した。

    それでも、3月11日に双葉町で行われたキャンドルナイトでは「3.11を忘れない」というたくさんの決意が聞かれた。訪れた人は「ニュースなどで語り部の活動を紹介しているが、こういうのは風化させちゃいけないと思う。今後も続いていってほしい」と話す。

    迎えた、震災と原発事故から14年目。経験していない世代にどう伝えていくのか? 私たちは、あの日の伝承者だ。

    (福島テレビ)

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