能登半島地震で津波による大きな被害を受けた、輪島市の舳倉島。金沢大学などが4月末に行った現地調査の結果、島を襲った津波は、県内で最も高い地点にまで達していたことが分かった。
離島を襲った津波…なぜ、県内最大に?
「珠洲市や能登町の津波痕跡高の最大が5mを少し超える程度。舳倉島の痕跡高は、5mを超えるものから最大で6mを超える辺りまで達していますので、県内では最も高いところまで津波が到達した」と話すのは、海岸工学の専門家、金沢大学の由比教授だ。
4月中旬の輪島市舳倉島。
地震から3カ月余りたっていたが、港の周りにはいくつもの船が湾の中で身動きが取れない状況に。家の周りには、津波が運んだとみられる大量のがれきや木材などが散乱していた。
気象庁はこの津波について1月に現地調査を行い、建物などに残された痕跡から津波の高さを
「2.9m」と推定していた。こうした中、由比教授のグループは4月28日に現地調査を行い、
今回の津波で運ばれたと見られる漂着物の高さを調べた。
由比教授は「島の斜面を駆け上っているようなところ、北側・西側では6mを超えるようなところまで、津波の痕跡がありました。島の北側と西側の2地点で6mを超えた場所にブイなどの漁具を発見しました」と調査を振り返る。そして…
「津波の遡上高としては県内で最も高い地点となります。舳倉島の標高は、最も高いところで12.5m。つまり、島の半分の高さにまで津波が押し寄せたことになります」と、津波被害の大きさを語った。
しかし、なぜ舳倉島でこれほどまでに高くなったのか?由比教授は、金沢大学と徳島大学が現在、検討製作中の津波シミュレーションを使って解説してくれた。
シミュレーションによると、東側の断層からくる津波と南側の断層から来る津波成分の両方が、舳倉島をくるむような、取り囲むような形で襲っていく。
能登半島の外浦では最大で4メートルほどの地盤の隆起によって、内陸部への津波の被害が少なくなった。しかし、国土地理院の数値では、舳倉島の地殻変動は地震の前後で『数cmの変化』だった。由比教授によると、隆起がなかったため、津波が四方八方から島全体を襲ったと考えられるというのだ。
地震発生当時舳倉島にいた3人の住民はすぐに高台にある診療所に避難し、無事だった。由比教授は、改めて日頃からの防災意識が重要だと訴えた。
「津波は日本に住んでいる以上、いつやってくるか分からないということで、日頃から備えを怠らずに、海の近くにいて大きな揺れを感じたらすぐ高いところに逃げる。それを徹底して、『人の命は何としても守る』という事が最も大切かなと思います」と。
(石川テレビ)