さて、その内容ですが、古今和歌六帖という、当時歌を作る上での手引きを目的に編まれたとされる歌集に 「いはで思ふ」という項目の一首目に載っている、次の恋の和歌の四句目だけを、定子は書き出したのでした。
〈心には 下ゆく水の わきかへり 言はで思ふぞ 言ふにまされる〉
全体は、私の心の中は、地下水が湧き返るようなのですが、言わないで思っている方が、口に出して言うより深い思いなのです、といった内容です。
この和歌の「言はで思ふぞ言ふにまされる」については、大和物語という作品にも出ています。ある帝が、大切にしていた「磐手(いはて)」という鷹が逃げてしまった報告を受けて、つぶやいたとされています。帝は鷹に逃げられた寂しさから、鷹の名を掛けつつ、知られている和歌の一部を言ったのでしょう。「心には…」の和歌は、和歌を日常的に親しんでいる当時の貴族なら、簡単に思い当たるもので、清少納言も定子がこの歌の一部を書いたのだと気づき、定子が表だって自分をかばうことはできなかったが、今の状況を憂慮して、自分のことを深く心配しているのだと理解したことでしょう。
さて、なお問題は、なぜ和歌の一部を書くにしても、もっと大きな木の葉でもなく、山吹の花だったのかということです。その解答は、次の古今集の山吹を詠んだ和歌にあります。
〈山吹の 花色衣 ぬしや誰 問へど答へず くちなしにして〉
この歌は、僧侶の着る黄色い衣(山吹の花色衣)が誰のものか尋ねても、答えがない、それは衣が梔子(くちなし)染めなので、口がないからだという歌です。つまり、山吹の花=黄色=梔子=口無し、と連鎖し、 山吹の花=口無し となります。その「口無し」が「言はで思ふぞ」の「言わない」と重なるので、「言はで思ふぞ」を書くのに、山吹の花が選ばれたということなのでしょう。
定子のしたことは、
1.自分の思いを古歌に託し、歌句の一部で示す、2.歌句につながる「くちなし」の縁で山吹の花びらを選んで歌句を書いて贈るという、優雅さはあるけれど、実に手の込んだ行為です。言うまでもなく、そうすることで清少納言への並々ならぬ慈しみの心を表しているのです。その定子の思いを清少納言もしっかりと受け止め、感激して、再び定子のもとで仕える決心をすることになります。定子と清少納言の心の強いつながりを山吹が示していると言っても良いでしょう。
現代人で山吹に注目する人は、まれかもしれません。それほど、現代では地味な花ですが、近世では、黄金を山吹色と言ったりもしました。現代の金メダルですね。似たことで、新幹線の設備検査車両のドクターイエローを見たら幸運にあうと言われます。
可憐でよく見れば華やかさもある山吹に目を注いでみてはいかがでしょうか。
参照文献
歌ことば歌枕大辞典 久保田淳・馬場あき子 編 (角川書店)
袋草紙 藤岡忠美 校注 (岩波書店 新日本古典文学大系)
枕草子 松尾聰・永井和子 校注 (小学館 新日本古典文学全集)
古今和歌六帖 (角川書店 新編国歌大観第2巻)
大和物語 高橋正治 校注 (小学館 新日本古典文学全集)
『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて (27)清少納言の再出仕 筆者 赤間恵都子