「百人一首」は、ほぼ作者の時代順に配列されていて、冒頭が天智・持統の二人の天皇、末尾が後鳥羽・順徳の二人の院(仏門に入った上皇)で、どちらの二人も親子でした。
以前までのコラムでは、中間に位置する皇族の陽成院・光孝天皇・三条院を紹介してきましたが、今回は残りの1名の皇族で、77番の崇徳院の歌と作者についてご紹介しましょう。
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