その中国風の官服に、カッと口をあけた忿怒の風貌と特殊な役柄から、仏教系の神格の中でもキャラの立ち方ではピカ一の閻魔大王。閻魔の神格のもとは古代インド・バラモン教の四聖典のひとつ「リグ・ヴェーダ」( ऋग्वेद ヴェーダ賛歌 )に見られる、この世界で最初に死に、天国への道を見出した人間ヤマ(यम, Yama) とされます。このことから、後に冥界-死者の国の支配者として見られるようになり、やがて地獄の主のような現在の恐ろしげな姿へと変貌していきました。
閻魔大王の必携のアイテムとして、すべての真実を映し出す浄玻璃の鏡の他七枚の鏡があって、そこには生前の人間の行いがすべて映像として投影されて、裁きを受ける人間は自身の行いをすべて鏡によってみせられることとなります。そして閻魔庁(えんまのちょう)には人間の生前の善悪をもとに、ふさわしい審判・懲罰が与えられることになります。さらに嘘をつく者にはペンチで舌を引っこ抜くという恐るべき拷問をすると伝えられ、昔の子供たちは「嘘をつくと閻魔様に舌を引っこ抜かれるよ」と脅されました。
中国ではこの死後の裁判は十人の裁判官「十王」によってなされると言い伝えられ、閻魔はその第五位にあたるとされます。日本に十王神話が伝わると、閻魔大王のみがクローズアップされ、さらには鎌倉時代、偽経「地蔵菩薩発心因縁十王経」の登場で閻魔大王の本地(本当の姿)は地蔵菩薩(お地蔵様)であるという信仰が生じ、お地蔵様を信仰し拝むことで、死後の閻魔の裁きが温情的になると信じられ、地蔵信仰の陰の立役者となりました。
閻魔様は「庚申信仰」とも結びつきます。庚申信仰=庚申待ちは、平安時代ごろには貴族の間で流行し、時代が下ると武家から庶民へと伝播していきますが、江戸時代ごろには全国各地の村で、庚申(こうしん・かのえさる)の日の夜に「庚申待ち」講がおこなわれていました。庚申の夜中に、人間の中にいる三尸(さんし)虫が寝ている間に体から抜け出して閻魔大王の下へと参じ、その人の悪行を逐一告げ口する、という俗信から、その日の夜は三尸の虫が体から抜け出させないように徹夜をして過ごすのです。昔の人々が閻魔大王の死後の裁きを、割と本気で恐れていたことをうかがわせます。
閻魔像は全国各地にありますが、東京都の深川ゑんま堂(法乗院)は、日本最大の閻魔像を祭ることで知られています。その大きさは全高3.5m、全幅4.5m、重量1.5tという巨大な寄木造り坐像。極彩色で彩られた木像はエキゾチックですらあり、江戸の下町でありながら、外国にでも迷い込んだような錯覚を覚えます。大晦日から16日にかけてはゑんま天の御開帳がおこなわれています。
また本堂一階に展示されている全16枚の地獄・極楽図は、天明4(1784)年に宋庵という絵師によって描かれたもので、地獄の責め苦の恐ろしさや、極楽浄土の美しさを描いています。初詣がまだという人ももうすませたという人も、お出かけしてみてはいかがでしょうか。
深川ゑんま堂