土御門泰邦は、かの安倍清明の子孫。その傲慢な性格は、せっかく幕府天文方を駆逐して暦編纂の主導権を握ったにもかかわらず、泰邦を支えた暦学者たちに対してひどい扱いをして軒並み途中で離脱されてしまった(中には、「天文雑話」の西村遠里もいました)といいますから相当なもの。
そんな泰邦50歳の宝暦10(1760)年、天皇から将軍家への宣旨(せんじ)を届ける勅使の任をおおせつかります。この京都から江戸への道程を、泰邦は「東行話説(とうこうのわせつ)」としてまとめます。内容は食通だった泰邦の行く先々での食べ歩き旅行記となっていますが、当時名物とされていたグルメをことごとく貶しまくる毒舌にあふれています。
たとえば桑名名物の白魚は「ドジョウの幽霊みたいで大嫌い」、鞠子宿(現在の静岡市)ではとろろ汁について「味噌が最悪。鼻孔はかぐまいと閉じ、舌は味わうまいと縮み上がるほど」というこきおろしよう。そんな泰邦がわずかにほめたものが、西倉沢(現在の静岡市)のサザエと、もう一つが安倍川で供された名物の安倍川餅。安倍川餅は、自身の崇拝するご先祖様と名が同じことでいたく気に入り、
我が為に 美しく(いしく)も名乗りしあべ川や 豆の粉(こ)の餅 まめの子の旅
「私のために安倍川と名乗るとは殊勝なことだ。豆の粉(きなこ)をまぶした餅、そしてその豆(安倍)の子孫である私の旅。」と、俺サマ全開のご機嫌な歌を詠んでいます。そんな泰邦のキャラがかえって「面白いお公家様の珍道中」として評判になり、写本として出回って、泰邦の大嫌いな江戸で人気を博したという事ですから、なんとも皮肉な人の世の綾というところでしょうか。
人間界がいかに欲と我意にあふれていようと、季節は巡ります。もうしばらくすれば、ウグイスの美しいさえずりが聞こえてくる春ですね。
コウライウグイスの鳴き声