小学生に宇宙についての質問を募ると、
「宇宙人はいる?」
「ブラックホールの中に入るとどうなるの?」
「宇宙の果てってどうなってるの?」
の三つが飛びぬけて頻出するんだとか。
私たち大人もぶっちゃければ同じでしょう。特に「宇宙の果てはどうなってるの?宇宙の外側ってあるの?外側はどうなってるの?」という問いは、あまりに壮大で想像もつかず、悩ましいものです。子供の頃、寝床で「宇宙の果て」について考えていて、奈落に落ちていくような恐ろしさに襲われ、急に心細くなったなんて想い出が、きっと誰にもあるかと思います。
「銀河」(星雲)という星の集団が、銀河系の外にも無数にあることを発見したエドウィン・P・ハッブル(1889~1953)が1929年、星の光のスペクトルの赤方偏移を観測、宇宙が膨張していること、地球から距離がある銀河ほど遠ざかる速度が速いことを見出しました。そうすると、この宇宙では光よりも速い物質は存在しない、ということになっていますから、遠方宇宙の遠ざかる速度が光の速度(近似値秒速30万km/秒)と等しくなったとき、地球の観測者からはその地点から遠方はもはや見えなくなります(観測の限界曲面)。光が届く(こちらに向かってくる)のと遠ざかる速度が等しければ、永遠にその光は観測者まで届かないからです。これが宇宙の地平線で、地球から見たときの「宇宙の果て」といえます。けれども、もしこの地球から見た宇宙の地平の場所にある星に知的生命がいて、その宇宙人が外宇宙を観測しているとすると、その観測者にとっての宇宙の地平線はまたその彼方にあることになり、永遠の逃げ水のように地平線は次々と現れます。ですから結局のところ「果てはない」「無限である」としか言い得ないのです。まさに「答えのない答え」そのものですよね。
実在とは、内と外、自と他が分かたれることによりはじめて現出するものですから、必然的に実在は有限なものです。実在する存在である人間の想像力が有限性に縛られてしまうのもまたそれゆえに必然であり、「無限」なるものを人間が把握してイメージするのは不可能だといえます。もしかしたら宇宙の地平線の向こうとは、精神と物質、自己と他者、生と死、全ての分かたれたもの=有限なものが合一し、無限へと帰る場なのかもしれません。
日本宇宙フォーラム 「宇宙の日」記念行事