それにしてもなぜ、青木賢清は九州からはるか遠い東国信濃の諏訪明神を勧請したのでしょうか。山伏ならば山岳修験の愛宕神社や飯縄神社、浅間神社などがふさわしい気がしますし、幕府の威光により切支丹を鎮める意図ならば徳川家康の東照宮を、神道の権威と言うならば天照大神の神明社(大神宮)、さらには地元九州には、格別有力な神様・八幡神や宗像神がいます。長崎鎮守として諏訪神社よりふさわしいと思える神様がいくつもあり、何故諏訪神社が選ばれたのか?という違和感があります。
これについては、青木賢清が肥前松浦氏の眷属で、松浦氏が肥前の舵谷(現・長崎県松浦市今福町)に居城を構え、梶紋の諏訪明神を信仰したことから、青木自身も諏訪明神への信仰と、ツテがあったからと考えられます。諏訪明神は内陸ながら、もともとは海洋民だった安曇氏とも関係があり、強力な水軍で肥前に覇を唱えた松浦氏が信仰した所以も不自然ではありません。くんち随一の名物が龍踊りになったのも、龍が本体の諏訪明神の導きではなかろうか?と思えるほどできすぎのストーリーですらあります。
長崎くんちとは直接の関連はありませんが、諏訪明神という特異な神と、謎多き諏訪大社について、次回掘り下げていきたいと思います。
(参考・参照)
鎮西大社諏訪神社 例大祭踊町と演し物籠町「龍踊」を奉納 長崎くんち踊町5カ町発表