日本のルーツともいわれる縄文時代/縄文文化とは何でしょう?
縄文時代とは「縄文土器」という独特の縄紋様が刻まれた土器が使用されたことから名づけられた、紀元前1万数千年から紀元前2,400年ごろまでの一万年余も長く続いた先史の一区分です。世界的に見れば新石器時代に属しますが、新石器時代の定義である牧畜と農耕による人類の定住生活のはじまりとは内実がやや異なり、その時代、温暖な気候で食料が豊富だった日本列島では、半ば定住しつつも動物の狩猟、海産物の漁労、植物や昆虫などの採集を中心にして生活を営んでいました。これを「縄文時代」と呼び習わします。
縄文時代、人々は自然からの恵みを受けて最低限の住環境でつつましく暮らしていました。このような、自然に依存し一体化した生活様式の人々の神へのささげ物は、自分たちが得た獲物などではありません。人は神からの恵みをいただく代償に、神(自然)が作ることの出来ない手工芸品や酒、踊りや歌などの芸能を供物として返して感謝したのです。こうした縄文祭祀の形式は、縄文文化の名残として知られるアイヌ民族の熊送り(イヨマンテ)を見ても明らかです。
そう、狩猟採集民は、生贄の儀式などは基本的に行わないのです。生贄という習慣が発生するのは、人類が自然の地形を大きく切り開き、村や町、国家共同体を形成、自然の資源を利用し財産を蓄えるようになる歴史時代に入ってからなのです。
軍神の元祖である経津主神(フツヌシノカミ)の本拠である香取神宮(千葉県香取市)でも、11月30日に行われる「大饗祭」では、利根川で捉えた雌雄一対のカモをさばき、内臓を取り出したあと外皮を飛行する形に仕立て上げて供える奇祭が行われます。
強力な軍事力を伴う国家体制と強力な宗教的権威に基づく祭事が形成されると、大型の鳥獣や時に人間を生贄として神にささげる祭祀が出現します。それは古代エジプトやイスラエル、中国の古代王朝・殷のさまざまな生贄祭事、メソアメリカのインカ、マヤ、アステカなどの王国の生贄神事と共通するものです。
ヨーロッパでは、バイキングが11世紀ごろまで残酷な方法で生贄を解体し、死を司るオーディンに捧げていました。歴史上の生贄は枚挙に暇がなく、それは王・司祭などの権力の誇示と、自然・神への恐怖の両側面によって支えられてきた王権時代の人類史の特性です。
日本の宗教祭祀は、それらの大陸文明と比べて、比較的穏やかであるのが通常ですが、大陸から渡ってきた王権の生贄祭事が、諏訪明神や香取神宮のような軍神を祭る神社にわずかに残されてきたというのが、諏訪大社の奇祭の数々の由縁ではないでしょうか。
諏訪明神が神道信仰の中で特別特殊な地位を占めることは間違いありません。今後さらに、歴史的経緯・根拠に基づいた研究が進められていくことを願います。
神社と古代王権祭祀 大和岩雄 白水社
精霊の王 中沢新一 講談社
アイヌの霊の世界 藤村久和 小学館
諏訪大社と諏訪神社大饗祭イケニヘ譚の発生-縄文と弥生のはざまに 三浦佑之