さて、旧暦の6月晦日には、沐浴潔斎をしたり、呪術儀式を施した人形を身代わりにして川に流して厄落としをするなどの行事が行われていました。百人一首の98番では賀茂川で禊をする人々の様子が歌われています。
風そよぐ楢の小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける (従二位家隆)
現代でも新暦の6月30日ごろに武塔神と蘇民将来伝説に基づく茅の輪守りの配布や、神社にしつらえられた巨大な茅の輪を八の字に(∞を描くように)くぐる「茅の輪くぐり」も、全国各所の神社で行われています。
でも「茅の輪」って何でしょう。茅葺(かやぶき)屋根とか、茅場町(かやばちょう)などの名詞があるとおり、「茅」というと「かや」と読むことが多く「ち」と読むことはあまりないかもしれません。本来「茅」はイネ科チガヤ属のチガヤ(茅萱 千茅 Imperata cylindrica (L.)P.Beauv.)の種を指し、本来の和訓は「ち」です。後に、イネ科のススキやカヤ、ヨシ、スゲなど、生活用具に使われるイネ科の雑草全般に「茅」という字が使われ、「かや」とも読まれるようになりました。
チガヤは全国の土手の空き地や草原、田の畦などのやや湿りけのある土地に匍匐根茎で群生する、草丈30~60cmほどの多年草です。5月ごろ、子ネコの尻尾のような銀色のかわいらしい花穂をつけた雑草が群れているのを見たことはありませんか?それがチガヤです。ユーラシア大陸や北アフリカなどの旧世界に広く分布します。細くてしなる茎や、イネ科らしい剣状の葉の葉先や縁が赤褐色になり、「ち」という和名は赤い血を連想させる茎葉の色から来ているという説もあります。古くよりその生命力と赤い差し色から霊力の強い植物と考えられ、『日本書紀』では神代の天の岩戸神話の一節に、チガヤを巻きつけた一丈八尺の馬上長矛が、太陽(アマテラス)の復活儀式の中で登場します。
又猨女君(さるめのきみ)の遠祖(とほつおや)天鈿女命(あめのうずめのみこと)、即ち手に茅纏(ちまき)の矟(ほこ)を持ち、天石窟戸(あまのいわやど)の前に立たして、巧に作俳優(わざをき)す。(日本書紀 神代上 第七段本文)
武塔神(スサノヲノミコト)が恩義を受けた蘇民将来の子孫である証であり、疱瘡疫病除けの茅の輪守りも、本来はチガヤで編んでいたものですが、細くて切れやすいチガヤよりも、丈夫で太いスゲやススキの茎に次第に置き換わっていったようです。室町時代前期ごろには既に、茅の輪はスゲになっていたようで、これを「菅貫(すげぬき)」と言います。
夏はつる今日の禊の菅貫をこえてや秋の風は立つらむ (慈円 拾玉集)
旧暦の6月晦日は暦では夏の最後の日。日暮れが少し早くなり、ひぐらしの声が反響し、秋の虫の声も聞こえだす、そんな晩夏の頃です。梅雨の真っ只中の新暦の6月30日とはだいぶ趣は異なりますね。とはいえ、一年の半分が終わる、という重みは旧暦も新暦も同じ。人の浮世の悩みや不安を知ってかしらずか、チガヤの銀色の穂波は、今年も変わりなくキラキラと輝いています。
参考・参照
日本古典文学体系 日本書紀 岩波書店
東雅