ネジバナにはモジズリ(綟摺)という別名もあります。この別名、百人一首の14番ともなっている、
陸奥(みちのく)の しのぶもじずり たれゆゑに乱れむと思ふ 我ならなくに
(古今集 河原左大臣)
この「しのぶもじずり」と関連づけられて語られることが多いのですが…みちのく(奥州)の王朝時代の初期、綾形石と称する紗綾(さや)形の紋様が生じる岩に、着生羊歯(シダ)の一種・シノブを散らし、この上に布を置いて染色植物でこすり、魚拓や版画のように岩や葉の模様を写し取って染色する染物「しのぶもちずり絹」が特産だった、と伝わっています。
現在でも、その名残として、福島県福島市の普門院には「文知摺(もちずり)石」があり、百人一首の有名歌ゆかりの地として後年、松尾芭蕉や正岡子規が訪れています。河原左大臣とは、平安初期の嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)のことで、何とあの『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの最有力候補とも言われる伝説の人物。こんな有名人ばかりのエピソードに関係していたらいいのですが、実際にはネジバナはこの伝説にも百人一首にも関係はありません。
おそらく、ネジバナのねじれた花序が、「捩る(もじる)」つまりねじる、ひねる、という言葉が「もじずり」にイメージ転化されてネジバナの別名になっていったということなのでしょう。江戸時代中期には、ネジバナをもじずりと呼んでいたという記録もあります。
英語名はlady's tresses(貴婦人の巻き毛)という優雅な名前や、pearl twist(真珠巻き/ヨーロッパのネジバナは白花が多いようで、この名もよくわかります)で、英語圏でもネジバナの独特の花姿は印象的で、愛されてきたことがわかります。
単子葉植物は、胚形成の初期の段階で細胞が不均一に成長して軸が曲がり、非対称性をもつ胚が形成され、このため本来二つあるべき子葉が一枚しか形成されなくなります。もともとは双子葉植物と祖先は同一だったのが、かつてあるとき胚形成の初期段階で深刻な異常が起こった個体、あるいは種が、にも関わらずそのまま生き残り成長し、子孫がその異常型を継承しながら独自進化したのが単子葉植物だという説があります。単子葉植物は双子葉植物や裸子植物では当たり前の、髄と輪状維管束、形成層がきれいに整った真正柱構造を形成出来ず、二次肥大成長が通常出来ないため、巨大化・長寿化する杉や樫のような「樹木」を作ることが出来ません。しかしこうした生物的不利を克服するために、菌や他の植物体の利用や、特定の生物との共進化、球根による養分の保持と増殖、珪素を取り込み乾燥地に適応するなど、さまざまな工夫をして独特の形態・生態を生み出してきた一群なのです。人間の主食となる穀物(ムギ、コメ、トウモロコシなど)や海洋への再進出(海草は全て単子葉植物です)、アヤメやユリ、ヒガンバナやスイセン、そしてランなど、草本類を代表する美しい花々へと分岐した彼らは、生物・生命のしなやかさ、そして多様性というものの意味と原理を教えてくれる生きた教材ともいえます。ネジバナの自由奔放なねじれっぷりもまた、多様な生き方の可能性を象徴するものといえるかもしれません。
参考・参照
植物の世界 朝日新聞社
植物の起源と進化 E.J.H. コーナー 八坂書房
文知摺観音 普門院