煬帝に国書を送った聖徳太子、その生前の名は厩戸皇子(うまやどのみこ)。かつて一万円札に使用されたひげをたくわえた青年像も有名ですが、しばしば聖徳太子は童子の姿で描かれ、また像を彫られました。現代でも引き継がれる職人集団の念仏講「太子講」でも、聖徳太子の少年像や、幼児像が掲げられてあがめられることが多いのです。太子とはそもそも、皇太子、王子様のことです。愛宕権現や白山権現の姿もまた、多くの場合童子(少年や少女)の姿で形作られます。
新羅三郎義光が元服した天台寺門宗総本山の園城寺(三井寺)は、天台宗の総本山・比叡山延暦寺に長年厳しい弾圧を受け続けてきました。弥勒菩薩を祀るために建立された園城寺ですが、その名をいただいた新羅明神の本地仏は、弥勒菩薩です。弥勒とは、未来からやって来るまだ生まれていない仏であり、その姿はほっそりとした少年のような姿で彫られることが多いのです。
そして、「赤」であらわされる日本語独特のある言葉があります。新生児、生まれてまもない小さな子供を、日本語では「赤ん坊」「赤ちゃん」「赤子」というのです。生まれたての新生児は皮膚が薄く、また分娩時に胎盤の血液が新生児の体内に圧縮して送り込まれるために、生まれたてはことに全身が赤く見えます。
赤く見えるから「赤ん坊」なのだ、という説明がありますが、世界中人種による皮膚の濃淡はあるとはいえ、新生児を「赤ん坊」と呼ぶ言語は日本語以外で聞いたことがありません。同じ東アジアの朝鮮半島や中国でも、赤ちゃんを赤ではあらわしません。日本人は古来、新生児の存在そのものに、昇る朝日そのものをイメージしていたのではないでしょうか。
熊野神社摂社の九十九王子の第一位となる若一王子は本地仏(神の姿を取った本来の仏の姿)が十一面観音菩薩で、十一面観音の垂迹神は、あの天照大神です。太陽神であるアマテラスもまた、修験道において童子(童女)として認識されてきたのでした。
となるとやはり、朝日をあらわすとされる日の丸の赤い丸は、太陽であると同時に生誕したての新しい命、赤ん坊をあらわしたものだったのではないでしょうか。そしてその魂の無垢のシンボルが、周囲を包む純白であらわされたものだったのかもしれません。
(参考・参照)
八幡宇佐宮御託宣集 重松明久 現代思潮新社
旗幟鮮明、南朝の夢 吉野の堀家に伝わる日章旗(時の回廊) 日本経済新聞三井寺(園城寺)