
“奇跡の救出”と呼ばれた高校生
2011年3月20日、東日本大震災から10日目。
宮城県石巻市で、津波に流された自宅の2階から16歳の高校生と80歳の祖母が救助されました。
生還したのは、当時高校1年生だった阿部任さん。
全国ニュースは「奇跡の救出」と大きく報じ、被災地に希望を与えました。
しかし、30歳になった阿部さんは、いまこう語ります。
「あの時の選択は、本当に間違いしかないと思います」
あの日、逃げなかった
震災当日、阿部さんは仙台の高校に通っていましたが、試験休みで石巻の自宅に帰省していました。
午後2時46分、石巻市は震度6強の激しい揺れに襲われます。
防災無線が「大津波警報」を告げ、サイレンが鳴り響きました。
しかし、阿部さんは高台へ避難しませんでした。
「自分に対して言われていると思わなかったんです。
遠い場所の話をしているんだろうなと。危機感はなかった」
阿部さんは、海岸からは1キロも離れていない自宅で祖母と一緒にとどまりました。
「津波は来ない」という思い込みが、命を危険にさらしました。
「津波は来ない」心理の落とし穴
阿部さんは、いくつかの理由で危険を過小評価していました。
「家から海は見えないので、津波は来ないだろう」
「津波が来たとしても、1階の床下くらいだろう」
実はこれは、阿部さんだけではありません。
震災直後の中央防災会議の調査によると、津波警報を聞いた人のうち17%が「避難不要」と判断していました。
理由はこうです。
・大した津波は来ないと思った(55%)
・津波が来る場所にいないと思った(40%)
・過去の警報で津波が来なかった(34%)
東北大学災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授はこう分析します。
「人は自分に降りかかる危険を“過小評価”しがちです。
さらに、過去の津波被害は三陸沿岸の印象が強く、
“石巻には大津波は来ない”という思い込みも影響したのでしょう」
迫りくる濁流 閉じ込められた9日間
地震発生から1時間後、阿部さんは1階に降りたとき、窓の外に津波が押し寄せているのを目にしました。
「気付いたときには遅かった。
次の瞬間には津波がガラスを割って家に押し寄せてきて“まずい”と思いました」
阿部さんの自宅は2階部分だけが切り離され、約200メートル流されました。
祖母と2人、偶然壊れなかった2階のリビングに閉じ込められ、外の様子も分からないまま孤立。
食料は冷蔵庫に残っていたわずかなお菓子と飲み物だけ。
がれきに囲まれた家の中で、寒さと恐怖に震えながら、ひたすら救助を待つ9日間でした。
10日目、余震で壁の一部が崩れ、屋根の上に脱出。
ついに救助隊に発見されました。
「奇跡」ではなかった
全国から「奇跡だ」「ヒーロー」などと称賛された阿部さん。
しかし当時、病院のベッドでニュースを見た彼は、むしろ違和感を覚えていました。
「避難できなかった自分を“奇跡”と呼んでいいのか。
私が声をかけていれば助けられた命もあったかもしれない。
喜ぶことはできませんでした」
救えたはずの命を救えなかったかもしれない。その後悔は、14年経った今も消えません。
“失敗”を使命に
震災後、阿部さんは一時、故郷から離れて暮らしました。
しかし大学卒業後、再び石巻に戻り、「3.11メモリアルネットワーク」の職員として震災伝承と防災教育に携わっています。
「あの日、間違った選択をした自分だからこそ、
次に災害に遭うかもしれない人たちに伝えられることがあると思うんです」
阿部さんは語り部活動を続けながら、未来の命を守るために自分の体験を伝え続けています。
正しい「選択肢」を持つために
災害時の判断は、とっさではなく「事前の準備」で決まります。
佐藤准教授は強調します。
「“こうなったらここへ逃げる”という
具体的な避難計画を日頃から立てておくことが大切です」
阿部さんは、こう締めくくります。
「あの日の自分は、正しい選択肢すら持っていませんでした。
だからこそ、これから災害に遭う人には“選べる力”を持ってほしい。
命を守るための心の準備をしてほしい」
「奇跡の救出」と呼ばれた阿部さんの体験は、決して美談ではありません。
逃げなかった後悔と、救えなかった命への痛み。
そのすべてを語ることが、未来の誰かを守ることにつながると信じています。
(記事の内容は2025年3月11日放送当時)
仙台放送