
私たちの生活は、もはや情報やデータのやりとりを支える「通信」抜きでは成り立たない。話題の生成AIを使うにも通信が必須だ。通信は災害時に大きな影響を受けるが、支援の要請や被害の把握など、被災者の生命線となる。被災地で通信網の復旧が遅いと言われてしまう背景に何があるのか。情報ネットワークが専門の東京大学大学院工学系研究科の森川博之教授は、見過ごされてきた「現場の危機」があると明かす。
“安さ”が“脆さ”を生む危険…
「通信事業者とともに復旧に取り組んでいるのが、実際に工事などを担っていただいている工事会社だが、採算が取れず、廃業する会社も増えるなど危機的状況だ」
森川教授は現状の課題を指摘する。
通信は、固定回線(光ファイバーなど)と無線通信(携帯基地局)によって成立している。その根幹を支えるのが通信設備建設・保守に従事する人々だ。
彼らは災害時の復旧対応から、日常の設備点検、草刈りや防錆塗装に至るまで、幅広い作業を担っている。しかし、二次・三次請けの工事会社では人材確保が特に困難になっているという。
業界団体が存在しないこともあり、実態を示すデータはない。
森川教授は、通信事業者が元請けに発注し、そこから二次・三次請けへと流れる構造のなか、限界まで費用を切り詰める圧力が影響している可能性があると指摘する。
背景には、長年政府が通信料金の引き下げを促してきた政策があると分析した。
「国が競争を進め、料金を下げさせてきた。そのツケがインフラを担う現場に及んでいる」
総務省は2025年、ようやく「情報通信設備エンジニア室」を新設し、工事業者の現状把握を始めたという。森川教授の提言を受けた動きだが、取り組みはまだ緒に就いたばかりだ。
「通信インフラの維持にはお金がかかる。料金で回収できなければ設備投資もできない。企業努力だけに頼るのは限界」
森川教授によると、災害対応については、国も一定の支援を行っている。
「発災後72時間の携帯基地局の機能維持や通信事業者間のローミング対応など、対策を進めています。しかし、費用の多くは依然として各社の負担に委ねられています」
「電力会社のように、必要経費を料金に反映させるしくみが通信にも必要です。災害対応や過疎地域維持のために必要となる費用をお客様に負担いただき、社会全体で支えられるようにすべきです」
通信料金の“安さ”が、災害時の“脆さ”を生む危険を孕んでいる。
森川教授は「通信業界と国が一体となって、国民の安全を守るための適正料金を考える時期にきている」と力を込める。
【略歴】
森川博之 東京大学大学院 工学系研究科 教授
1987年 東京大学工学部卒。2022年より情報通信ネットワーク産業協会(CIAJ)会長。OECDデジタル経済政策委員会副議長、電子情報通信学会会長 等歴任。主著に「データ・ドリブン・エコノミー」(ダイヤモンド社)。