旧暦時代は暦月を数字ではなく、「昔の人は暦月を睦月如月弥生卯月…と古くから伝わる風情ある名で呼んでいた」と説明される「和風月名」。
ところが、旧暦(太陽太陰暦)時代の暦を見ても、和風月名などは一切記載されていません。もちろん全てを確認したわけではないので、もしかしたら記載されている暦もあるかもしれませんが、少なくとも一般的ではないのです。もちろん、「一月」と書かれていたら「むつき」と訓むなどの符丁自体は存在したのでしょうが、むしろ旧暦時代の暦で一般的だったのは、暦月それぞれに十二支が当てられた十二支月で、必ず暦に記載されていました。北斗七星の柄杓の柄が真北を向く旧暦十一月が基点の子(ね・ねずみ)となる「ねづき/ねのつき/しげつ」。以降十二月=丑月(ちゅうげつ)、正月=寅月(いんげつ)、二月=卯月(ぼうげつ)…と続きます。
そもそも「昔の人は旧暦の月を、和風月名で呼んでいた」と断言するなら、どうしてこうまで暦月には異名が多いのでしょうか。そして「いちがつ、にがつ、さんがつ…」とは本当に呼んでいなかったのでしょうか。松尾芭蕉の句を紐解くと、江戸時代、暦月を数字読みしていたことがわかります。たとえば六月の句。
六月や 峯に雲置くあらし山 松尾芭蕉
この句の読みは「みなづき」ではなく「ろくがつ」です。小林一茶は六月を季題に十三句詠んでいますが、このうち「六月」表記が十二句で、「水無月」表記は一句のみです。月名の数字呼びは、近代に始まった習慣ではなく昔からずっと使用されてきたのがわかります。
「和風月名」はどうして「○○月」で統一されず、「弥生」や「師走」そして表記上では月がつくとはいえ、訓みではつかない「如月」などの呼び名がなぜ混じるのか。本当に和風月名は十二ヶ月セットでの呼び名として成立していたのか。などなど、現代常識化されている和風月名には多くの不明な点があります。
もしかしたら「和風月名」がより一般化されたのは、むしろ新暦以降の近現代になってからなのではないでしょうか? 師走の語源だけにとどまらず、和風月名というものがどのようにして成り立ったものなのか、改めて考えてみるべきことのように思います。
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色葉字類抄和爾雅 巻之ニ 貝原好古