12月18日は源内忌。自由人・平賀源内は現代ウナギ養殖を見てどう言うでしょうか?
2018年12月18日
「土用丑、鰻食うべし」源内は言った?言わなかった?
低湿地を干拓して作られた江戸の町一帯には、人々の住まいとウナギの生息地である河川や湿地が隣接していて、ウナギの稚魚も多く上ってきて住みつき、江戸時代のはじまりから人々はウナギを盛んに食べていました。しかし江戸時代初期のウナギの食べ方は、野趣あふれるぶつ切りの串焼きでした。その形がガマの穂によく似ているため「蒲焼き」といわれたのです。身を裂いて開き、醤油や酒に何度もくぐらせつつ焼く現在のウナギの食べ方に似た調理法と供し方(大かば焼き)が考案されたのは、濃口醤油や白味醂が考え出されて生産され始めた江戸中期頃といわれ、それにつれてそれまで秋冬の食べ物だったウナギが、徐々に暑い時期にも食べられるようになる変化が起きました。源内もウナギが大好物で、殊に江戸前のウナギは絶品である、と自著「里のをだまき評」(風来山人名義) で記しています。ですから、源内が実際にうなぎ屋のために知恵を貸したということもあったかもしれません。
ウナギを「土用」に食べるという風習自体も、源内が江戸で活躍していた時代ごろから始まっています。土用=「土旺用日」というのは農作業・工事などをすることが禁じられ、派手な振る舞いも控えるよう薦められた養生のための休養期間でした。「明和誌」(1822年)には次のように書かれています。
寒中丑の日にべにをはき土用に入 丑の日にうなぎを食す。寒暑とも家毎になす。安永 天明の頃よりはじまる。
寒中(立春直前の一月後半から二月初旬)の丑の日には口紅をつけて肌荒れを防ぎ(これを丑紅といいました)、土用に入るころにはウナギを食べて養生する。ウナギは寒中だけではなく暑中の土用丑にも食べる家がある。安永天明年間(1772~1789年)ごろよりそのような風習がはじまった、とあります。
少しややこしい話になりますが、もともとは天然ウナギの旬である冬の土用に養生としてウナギを食べるという風習があった。そしてまた、「丑の月」にあたる寒中には、特にその作用が強まる丑の日に、邪気除けに水行である冬の対極・夏の火行の色である「紅」をつけた。後にウナギが夏の土用にも食べられるようになります。すると夏は五行説で言えば火行にあたるので、対極になるのは水行の黒いもの。また、夏土用は「未の月」にあたるため対極は「丑」=うのつく物=ウナギ、ということで、何だウナギは夏の邪気よけにぴったりじゃないか、ということになったのではないでしょうか。つまり丑紅が夏に移行して丑鰻に変容したというわけです。
水気の黒いウナギを食べて夏の悪い気を退散させよう、という発想、巧みな因縁付けは、事実はどうだったかはともかく、平賀源内らしいといえるのではないでしょうか。
絶滅危惧種ニホンウナギ。減ってる?増えてる?
吉野川のシラスウナギ漁
ウナギの生態は、サケと真逆。サケが海を回遊し、繁殖産卵期になると淡水の川に侵入して遡上、上流域で産卵して親魚が死んでいくのと反対に、ウナギは淡水域に生息し、繁殖期に入ると川を下って外洋に出て(ただし近年の調査で、淡水域に入らず、河口近くの海や汽水域で生涯過ごす個体もかなり多いことがわかっています)、マリアナ海溝の深海域へと向かい、そこで産卵して死んでいくのです。かつては、何千メートルもの深海で産卵すると考えられていましたが、実際には数百メートル程度の準深海域で産卵することが近年になり判明しました。
卵から孵化した稚魚はプレレプトセファルスと呼ばれる極小のおたまじゃくしのような姿でおなかに卵黄を抱えています。次にレプトセファルスと呼ばれる平たい葉っぱのようなかたちの稚魚となり、成長しながらフィリピン~台湾沖付近に移動し、そこで集団で生活しながらシラスウナギに変態。海流に乗って東アジアの沿岸域を北上して、淡水のにおいを感知して川に入り、そこで成魚クロコウナギに成長します。まだ若いウナギは背がオリーブ色、腹面が黄色で、「キウナギ」と呼ばれます。そして淡水域で5~10年ほど過ごした後、ある秋「銀化」と呼ばれる成熟期を迎えます。全体が黒っぽく、かつ金属光沢を帯び、「ギンウナギ」と呼ばれる姿になるのです。そして成熟個体同士で集団となって川をくだり外洋に出て、深海域の産卵場に旅立つのです。
ウナギ養殖、その抱える矛盾と将来展望
鰻の稚魚、のれそれ
捕らえられたシラスウナギは、現在では、ビニールハウスに覆われて水温を30℃程度に保たれた巨大な水槽で飼育されています。ウナギは、狭く暗い場所にもぐりこまないと安心できない性質があるため、自然状態では水底の岩陰や狭い水路などに入り込んで過ごしますが、水槽にはそのような場所はなく、ウナギたちは密集して水槽に入れられ、互いに他のウナギの影に隠れようとして絡まりあいながら運動し続けます。これによって天然で育つよりも短期間で成長することになるのですが、ウナギにとってみれば、ひと時もじっとすることがゆるされず、一生のた打ち回り続けることを意味します。もちろん鶏や豚などの家畜も不自由な環境で飼育されるのですが、飼育者側、また消費者側からすれば、省力化された飼育により、鶏肉や豚肉、鶏卵などが安価で提供できる、いうことがいわば「免罪符」にもなっています。
でも、ウナギはそのように合理化省力化しても、シラスウナギの値段と飼育飼料の値段により、安くすることがなかなか難しい状況にあります。国内産養殖ウナギが高価であることはご存知の通りですが、シラスウナギを捕らなければ、河川に生息するウナギの数も増え、増えた天然ウナギを、昔ながらの漁法で捕って供給しても、同じ程度かそれ以下の値段で売れるのでは、と思えてなりません。
日本でのウナギの消費は減っていて、かつて2000年前後には実に世界全体のウナギ消費の70%を日本が占めていたのですが、近年では中国などの他国の消費が上昇したこともあり、世界の15%程度にまで下がっています。最盛期の2000年前後には16万トンも国内で供給されていたのが、2017年にはおよそ1/3の5万トンあまりにまで下がっています。今後もウナギの消費量は下がっていくでしょう。
こうした事態は、ウナギの資源管理という意味から大きなマイナスであり、ウナギという食文化を継続させていく意味からも正していかなければならない問題です。
2019年にスリランカでワシントン条約締約国会議が開催されますが、その際ニホンウナギの国際取引が禁止となる決議がされるという予測も出ています。現在のような養殖形態をとる限り、いずれウナギを食べられなくなる日が来るのではないでしょうか。
自由に生き、最後は投獄されて自由をもぎ取られると、抗うように獄死した源内。もし現代の養殖ウナギを見たらきっと「なんてえあこぎな。放してやんなよ。ウナギだって、捕って食われるまでは自由に生きてえだろうに。」なんて言うような気がします。
ウナギをめぐる状況と対策について