〈君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ〉
「古今集」春上に、光孝天皇が即位以前、人に若菜を送るときに添えた歌として見えます。早春の若菜摘みは平安時代の代表的な年中行事の一つです。春でも残雪が衣の袖に降りかかる中で、作者が若菜摘みをする情景が目に浮かぶようです。「君」とされた人物はわかりませんが、一首全体から作者の、その人物に抱いている穏やかで温かな心が感じられます。若菜摘みを詠んだ秀作と言え、光孝天皇の人柄が感じさせられる気がします。
この歌は、「古今和歌六帖」と、院政期に和歌と漢詩を編纂した「新撰朗詠集」のほかは、定家の歌論書に入れられていて、定家好みの一首だと思われます。
さて、この歌は、天智天皇の歌に似ていることに気づきます。
〈秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ〉
特に後半では、まったく同じ「我が衣手」があって、「露」と「雪」を替えただけのようです。天智天皇の歌は、農民が稲の収穫が終わった後に粗末な屋根が隙間だらけの小屋で一休みをしていて衣の袖が露でしっとり濡れたという内容ですが、作者が天皇とされているのは、「天皇は農民と一体化して、人々の生活を保証する農作物の豊かさを一緒に喜ぶ立場にあるという考えから選ばれている」と、
「百人一首」のコラムの2回目で書きました。
ここには、天皇による農民の労苦への深い思いやりを読み取るべきだろうと思います。これと光孝天皇の歌は、細かには違いますが、親王時代の天皇が、ある人のために袖に雪を受けながら若菜を摘むということに、篤い相手への愛情を読み取ることができます。
同様の見方は、下河辺長流(しもこうべちょうりゅう)という江戸時代の和学者の「三奧抄」という「百人一首」の注釈でも、
〈みこにて人ひとり恵ませ給ふ御心の位に就かせ給はば、万民に及ぶべし。しかれば天智天皇の御製に相並べてみるべき御歌なりといへり〉
とあります。このように見ると、二人の和歌は、天皇らしさという点で合わせられているようにも思えます。