小石川後楽園では間もなく梅が満開!その「後楽園」の意味を知っていますか?
2016年02月15日
その後楽園。東京メトロの駅でもあり知名度も抜群ですが、「後楽園」の意味をご存じですか?東京ドーム、旧後楽園球場のすぐ隣に位置しますが、もちろん小石川後楽園のほうがずっと以前の、江戸時代初期に造られた庭園です。後世に水戸黄門として知られた水戸徳川家の二代目藩主・徳川光圀の思いが込められた庭園の由来を、探ってみましょう。
後楽園の名付け親は?
小石川後楽園
明が清によって滅ぼされたのは、1644年。以降、朱舜水のみならず、国姓爺として知られる鄭成功など、明朝復活を願う多くの人物が日本に援軍を頼みに訪れました。しかし鎖国が完成しすでに家光の代となっていた徳川幕府は、その願いを受け入れることはありませんでした。
朱舜水は明の滅亡後約15年間もの間、根拠地浙江省舟山群島から日本・ベトナム間などを放浪し、軍需物質・費用を調達していたとされています。長崎にも4回訪れて援兵を乞うていますが、60歳を越え遂に明の再興を断念し、1659年、長崎で帰化します。
朱舜水が光圀公に託した「先憂後楽」とは?
園内の朱舜水設計による円月橋
朱舜水はのちに「明は政治腐敗で清の侵略を招いたが、貴方は理想的な統治をすべきだ」というメッセージを光圀公に伝え、激励しています。その朱舜水が庭園の選名としたのが、中国の宋の時代の書物『岳陽楼記』にある「先憂後楽」のキーワードでした。「先憂後楽」とは、「為政者はまさに天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみは後れて楽しむ」を意味します。治政者たる者、心配事は人々に先立って気を配り処置すべきで、楽しいことは先に市民が体験したのちに自分も楽しみなさい、という教えでしょうね。
小石川後楽園の梅の満開はいつ頃?
小石川後楽園内の梅林
戦国時代ののちの、平和を尊ぶ徳川の時代の象徴ともいえる小石川後楽園には、沢山の梅が植えられています。光圀公は、自らの号(別称や雅号の意)を「梅里(ばいり)」としたほどの梅マニア。2月上旬の現在、ほぼ満開の早咲きの梅の中には、‘光圀’と名付けられたものもあります。
小石川後楽園 では、平成28年2月11日(木・祝)~3月6日(日)まで、「梅香る庭園へ」と銘打って、演奏会や梅めぐりツアー、狂言の会、植木市など、盛りだくさんのイベントが催されます。遅咲きの梅の満開はまだ先。この間、たっぷりと梅の香りを楽しんではいかがでしょうか。