「菜の花や月は東に日は西に」。この俳句が詠まれた日はいつなのか?

西の空には大きな夕日。一面の菜の花畑が夕焼け色に染まる。
この俳句の月は満月? 半月? 三日月?

夕暮れ時、東に見える月は満月。
反対に、夕暮れ時に月が西に見えれば、それは三日月です。月も太陽も西の方角にあると、月の一部にしか太陽の光が当たらないので、満月にはなりません。
つまり、夕暮れ時に東の空に月が見えるというこの句の月は、満月ということになります。
1774年、菜の花が咲く季節の夕暮れ時、月と太陽が同時に見えるのは4月中旬以降
菜の花が咲いている時期で、東に満月、西に夕日が見えるのは、旧暦の3月10日~15日くらい、今の暦でいくと、4月20日~4月25日となります。つまり、蕪村は実際に旧暦の3月23日に、東に満月、西に夕日を目にしてこの俳句を詠んだのではなく、その10日くらい前に見た光景を思い出しながら、3月23日にこの句を詠んだのではないかといわれています。
(参考:「日刊☆こよみのページ」2009/04/09 号 ⇒ http://koyomi.vis.ne.jp/cgi/magu/index.php?date=20090409)
菜の花を愛した蕪村、たくさんの菜の花の俳句を残している
「菜の花や摩耶を下れば日の暮るる」
昔、摩耶山がある神戸市灘区では、菜種油を生産するために菜の花が栽培されていました。当時のこの地は、一面の菜の花畑が美しかったと思われます。
ほかにも、菜の花を詠んだ句がたくさんあります。
「菜の花を墓に手向けん金福寺」
「菜の花や遠山どりの尾上まで」
「菜の花や油乏しき小家がち」
「なの花や昼一しきり海の音」
「菜の華や法師が宿を訪はで過ぎ」
「なのはなや笋(たけのこ)見ゆる小風呂敷」
「菜の花やみな出はらいし矢走船」
「菜の花や鯨もよらず海暮ぬ」
「菜の花や和泉河内へ小商」
「菜の花や壬生の隠家誰々ぞ」
春の夕暮れ時、摩耶山の上から見下ろすと一面の菜の花畑、空を見上げると月と太陽が同時に見える…、そんな光景を見たとき、蕪村はどんな気持ちだったのでしょう。春のこの時期、菜の花を目にしたら、蕪村がどんな思いでこの句を詠んだのか、思いをはせてみてはいかがでしょうか。