朝に夕に草花に降りるしらつゆが輝いて。二十四節気「白露(はくろ)」

七十二候では「草露白(くさのつゆしろし)」。ようやく朝晩の涼しさが際立つころに

これは、天明8(1788)年の暦注解説書「暦便覧」にある、二十四節気「白露」についての解説。残暑厳しくとも、ようやく感じる朝夕の涼しさに、秋めいてきたと実感できる今日このごろ。太陽は黄径165度の点を通過し、季節は夏から秋へ、陽から陰へ。空気中の水蒸気が夜気で冷えた草木にふれることで露となり、白くきらめく様子から「白露」との名が付けられとのことです。
朝の白んだ空気のなか野山や里、川辺を散歩すると、秋の草花や稲の穂がまとった露が、朝日にきらきらときらめく美しい情景に遭遇することがあります。野原一面をおおう白銀のヴェールのような美しさに誘われ、一歩踏み込むと降りかかる露の名は「露時雨(つゆしぐれ)」。昼夜の寒暖差に時折すっと肌寒さを感じるなか、秋は刻々と深まってゆくのです。
このころはまた、秋の長雨というように雨天も多く、すっきりと晴れない日も多いのですが、ひとたび晴れわたった日の空は青く澄み切ってどこまでも高く、秋の季語にもなっている鱗雲や鰯雲が現れます。
「白露」で釣りあげた秋の七草。1000年以上も愛でられた秋の風情

~萩が花尾花葛花(をばなくずはな)撫子(なでしこ)の花
女郎花(をみなへし)また藤袴(ふぢはかま)朝顔(あさがほ)の花~
と、山上憶良が万葉集で詠んだ古来の秋の花たちが、秋の七草の発祥と言われています。以来1000年もの間、ハギ、ススキ、クズ、カワラナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウが秋を象徴する七草に。朝顔についてはキキョウではなく、ムクゲやヒルガオとする説もありるようですが、憶良が見た秋の花はどの花だったのでしょうか。
さて、秋の七草の中でも「萩」は、『万葉集』で最も多く詠まれているという花。万葉表記で「ハギ」は、「芽子、芽、波疑、波義」。旅人や鹿、雁、そして露と併せ、歌に詠まれることも多かったようです。
~白露を取らば消ぬべしいざ子ども露に競ひて芽子の遊びせむ~
~白露の置かまく惜しみ秋芽子を折りのみ折りて置きや枯らさむ~
~朝戸開けて物思ふ時に白露の置ける秋萩見えつつもとな~
晩夏から秋にかけて、多数の赤紫色の花を咲かせしだれる萩の花。朝に夕に宿る白露はいわば、この清楚な花の美に、いっそうの趣と風情を与える自然の宝玉でしょうか。切なくこぼれる涙のひと滴のような白露が置かれた「萩の露」を、見つめているだけでしっとりとした秋の情緒が、心の奥に沁み入ってくるようですね。
そんな萩の花言葉は、「想い」。
秋のお彼岸に供える「おはぎ」の名は、いにしえより愛し親しまれてきた花・萩が由来です。
秋の夜長は月見に絶好。煌々と冴える月夜に秋の深まりを感じて

来週に迫る「十五夜」ですが、古くは平安時代からこの日の月を愛でる習慣があり、とくに江戸時代は庶民の間でお月見が盛んに行われたとか。吉原が賑わい、隅田川に舟を浮かべるなど、各所に大勢の人々が月見に集い、江戸のあちらこちらの八幡宮では、月見を兼ねた祭礼も行われていたようです。
(ちなみに六本木にある芋洗い坂は、「芋名月」とも呼ばれ芋類をお供えした十五夜前に、収穫された芋を商う市がたったことから、この名になったとか)
秋雨に浄化された秋の空は、いっそう澄み渡り、ちょうど見上げるのに程よい高さに昇る月の姿は眩くくっきりと。明るい星も比較的少ないこともあり、銀白色の月の光は煌々と冴え、眺める者のこころを魅了し幻惑します。
そろそろお団子やお神酒、ススキなどの準備を心積もりして、9月15日の十五夜、中秋の名月に備えておくのも一興。前日の「待宵」、翌日の「十六夜」、そして17日の満月と、じっくりと月見を愉しんでみてはいかがでしょうか。

植物と行事(湯浅浩史著・朝日選書)、江戸庶民の四季(西山松之助著・岩波セミナーブックス)、万葉植物事典(北隆館)